名古屋めしブームに名古屋民が抱く違和感の正体 実は「天むす」発祥の地は名古屋ではなかった

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④スパゲッティ

名古屋のスパゲッティといえば、全国的には「チャオ」(1979年創業)などの“あんかけスパゲッティ”が定番だと思われています。

あんかけスパゲッティを地元民はあまり食べない(写真:Kappaの旦那/PIXTA)

ただ、名古屋人が日ごろ喫茶店で食べるのは、“鉄板ナポリタン(イタスパ)”です。これは、熱々の鉄板に溶き卵を敷いて、その上にナポリタンスパゲッティをのっけたものです。

⑤天むす

これは番外編。天むすが代表的な名古屋めしとされていますが、三重県津市の「千寿」(1955年ごろ創業)が発祥で、名古屋めしと言えるのか微妙なところです。名古屋人はごくまれにデパートで天むすを買うだけで、自宅で天むすを作って食べるという習慣はありません。

このように、全国的に知名度を獲得している名古屋めしの多くは、地元名古屋では「二番手・後発組」です。鰻ひつまぶしの「あつた蓬莱軒」や味噌カツの「矢場とん」は「一番手・先発組」で現在も最も人気がありますが、これらは全国展開にはやや消極的。調べた限り、「一番手・先発組」で全国区になったという名古屋めしは存在しません。

人間の味覚というのは保守的で、子供の頃から慣れ親しんだ安定した味を求めることがあります。私のように故郷を離れた中高年は、慣れ親しんだ「一番手・先発組」を差し置いて、あまり食べたことがない「二番手・後発組」がクローズアップされると、「それってちょっと違うでしょ」と違和感を覚えるわけです。

名古屋めしは「下剋上文化」

ところで「二番手・後発組」が「一番手・先発組」を凌駕するというのは、言うなれば「下剋上」です。そして下剋上と言えば、ともに名古屋出身の織田信長と豊臣秀吉。

信長は、尾張国の守護の家来である守護代のさらに分家という低い家柄から出発し、主家を倒して尾張を平定し、さらに天下統一を目指して戦いました。秀吉は、百姓から身を起こして織田家の中で出世し、信長の死後、織田家を排除し、領土を拡張し天下統一を果たしました。今日の名古屋めしの躍進は、信長・秀吉の「下剋上~天下取り」を彷彿させます。

先日、大阪の企業経営者からも言われました。「B級グルメと言えばかつては大阪がメッカだったのに、いつの間にか名古屋になった。大阪の飲食店はせいぜい関西どまりであかんな。山ちゃんやコメダは信長や秀吉のように先進的・アグレッシブで、経営者としてとても参考になる」。

愛する名古屋めしを郷土の英雄にたとえて褒められて、名古屋人としては嬉しさマックス、と言いたいところですが、この言葉を聞いて2つ目の違和感に思い当たりました。それは、名古屋めしの成功はあくまでも例外にすぎないということです。

山ちゃんやコメダを見ると、名古屋の企業は元気ハツラツでグイグイとアグレッシブに市場開拓する「攻めの経営」という印象を持つかもしれません。しかし、大半の名古屋企業は非常に保守的で「守りの経営」、悪く言うと鈍重です。

次ページ「名古屋めしの成功」から何を学べるのか?
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