キプチョゲがナイキと紡いだ「2時間切り」物語 「厚さは速さだ」のナラティブが浸透した理由
海外ではBreaking2というナラティブの形成がなされていたが、日本国内では様子が異なる。ナイキでは当然ながら日本選手にも厚底シューズを提供しており、厚底シューズ購入権をかけたイベントを行ったりもしていた。
しかし日本におけるメッセージはBreaking2ではなく「厚さは速さだ」。実は日本ではシューズの「薄底」神話がある。厚底シューズはランニング初心者だというパーセプションがあったのだ。それゆえ、日本では商品的なメッセージとしては「厚さは速さだ」となった。それを証明してみせたのが、2018年の大迫選手や設楽選手の活躍だったというわけだ。
一方で、次々と好記録を続出させる魔法の厚底シューズは、物議も醸す。2020年1月に国際陸上競技連盟(世界陸連)が、東京五輪でのナイキの厚底シューズの使用を禁止しようとしているというニュースが世界中のメディアに流れた。しかしこの時点で、世界のトップ選手がすでにこのシューズを履いていたのも事実。結局、五輪における厚底シューズの使用は、ソールの厚さ40ミリ以下などの規定をクリアした市販品のみ認めるというものになった。厚底シューズはそこまでの影響力を及ぼすほどの存在になったのだ。
「可変的なキャンペーン」が奏功
2020年11月、今度はなんと、リドリー・スコット監督がマラソン世界記録保持者であるキプチョゲ選手のドキュメンタリー映画をプロデュースしていることが明らかになった。そして、2021年8月、東京オリンピックで圧倒的な強さを見せて金メダルを獲得、2連覇を達成。猛暑の中でのレースで、残念ながら「2時間切り」とはならなかったが、Breaking2の物語はまだ終わらない。
ナイキの事例は見事に「可変的なキャンペーン」によるナラティブを実践した。「人間の不可能に挑む」というメッセージ、初回の挑戦が失敗したことを受けての情報発信、エリウド・キプチョゲというアスリートの思いと声、『ナショナル・ジオグラフィック』との連携、日本における、箱根駅伝というタッチポイント、「厚さは速さだ」という商品のタグライン……。実にマルチなエンゲージが可変的に遂行され、物語的な構造が構築されていった。
ナラティブをかたちづくる「ピース」としての商品企画、広告出稿、パブリシティー・プラン、などに計画性が必要なことは言うまでもない。そのうえで、変動することを前提にした柔軟性と対応力が求められるのである。
このように、ナラティブの実践にはエンゲージの「可変性」が極めて重要だ。数年前より「VUCA」というキーワードが知られるようになったが、コロナ禍も経て、世の中はますます「先が見えない」環境になっていく。そんな時代に、固定化されたメッセージやタッチポイントは対応しきれない。それらを、どんどん状況に合わせて(あるいは好ましい状況をつくるために)可変させ、ナラティブという物語構造を先に進めていくことが求められる。
「行き当たりばったり」なのではない。どれだけ精緻にシナリオを想定し、また柔軟に対応できる体制を構築するかが問われている。
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