最強戦艦「大和」に特攻させた「組織の論理」の怖さ 3000人超が犠牲、現代にも通じる愚策の背景

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第一に、このような重要な作戦にもかかわらず、連合艦隊の草鹿龍之介参謀長は、第5航空艦隊との作戦打ち合わせのために、鹿屋海軍航空基地(鹿児島)に出張中で、この経過をまったく知らなかった。草鹿がこれを知ったのは作戦決定後であり、電話で神重徳参謀から知らされ、「参謀長の意見はどうですか」と聞かれた。草鹿はさすがに腹を立て、「決まってから、参謀長の意見はどうですか、もないもんだ」と憤慨した。

大筋としては、及川総長から直接、豊田副武連合艦隊司令長官に話が行き、参謀長不在のまま、早くから水上艦艇による殴り込み作戦を主張していた神重徳参謀の案を採用したものだったらしい。

豊田長官自身は「うまく行ったら奇跡だ」と判断していたにもかかわらず、この作戦の実施を認め、軍令部に戻した。小沢治三郎軍令部次長は、「長官がそうしたいのなら良かろう」と、これを了承した。もちろん及川軍令部総長に異存はない。

こうして天皇の何気ない質問は数日のうちに、戦艦「大和」以下の日本海軍最後の水上艦隊の特攻出撃という命令となったのである。

巨大なきのこ雲を噴き上げて沈没した大和

出撃する艦隊は、第2艦隊旗艦「大和」以下、軽巡洋艦「矢矧」、駆逐艦八隻(「冬月」「涼月」「磯風」「浜風」「雪風」「朝霜」「霞」「初霜」)の計10隻であった。

艦隊は4月6日に出撃し、沖縄に向かって進撃したが、ほどなくその行動は敵潜水艦にキャッチされ、翌日の正午過ぎごろから延べ1000機にのぼる敵艦載機の航空攻撃が艦隊に集中した。ついに14時23分、多数の魚雷と爆弾が命中した「大和」は巨大なきのこ雲を噴き上げて爆発沈没した。九州坊ノ岬沖、北緯30度43分、東経128度04分の地点だった。

特攻第2艦隊10隻のうち、無傷といえるのは「初霜」1隻のみであった。ほかの9隻の内、「大和」「矢矧」「霞」「浜風」「朝霜」の5隻が沈み、「雪風」「冬月」「涼月」「磯風」が損傷していた。「磯風」は損傷がひどく、「雪風」が砲撃で処分した。

そして「大和」乗員3332名の内、戦死者3056名、救助されたのはわずか276名にすぎなかった。この数字は、海軍航空特攻全戦死者の数を上回るものであった。ここにおいて、輝ける帝国海軍の歴史は「大和」の沈没の巨大なきのこ雲とともに消え去ったのである。

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