幸せを追いかけて「不満だらけの人」の問題点 「こうあるべき」から自由になるための考え方

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でも、そんなモンキー・マインドをモンク・マインドに育て上げることは不可能じゃない。自分が求めているものの根っこの部分を掘り下げて、成長するために実行可能なステップを見つければいい。

モンク・マインドは僕らを混乱と注意散漫の沼から引き上げ、ものごとを見きわめる明晰さと、人生の意味と方向性を教えてくれる。

「モンク・マインド」は、僕らに、今とは違う人生観、違う生き方を見せてくれる。その新しい生き方では、反骨心、無執着、再発見、目的、集中力、自制心、奉仕が鍵を握る。

モンク・マインドがめざすのは、エゴ、嫉妬、欲望、不安、怒り、不満、悩みから自由になることだ。

僕に言わせれば、モンク・マインドは入手可能なだけではない。必要不可欠なものだ。他に選択肢はない。僕らは落ち着きと静けさと安らぎを必要としている。

「ほんとうの自分」とは何だろう?

人はみな、程度の差こそあれ、無意識に俳優のように演技をしているようなものだ。ネットの世界で演じる役柄、職場や友人の前で演じる役柄、家庭で演じる役柄……というように、ペルソナを使い分けている。

もちろん、それにはそれなりのメリットがある。その役柄を演じるからこそ、生活費を稼ぐことができるし、居心地のよくない職場でも仕事を続けられる。たとえ、いけ好かないと思う相手でも、付き合わなければならない相手なら、付き合っていける。

でも、そういう役柄を幾重にもまとっていると、そのうち、ほんとうの自分が埋もれてしまう、なんてことが起きる。もっとも、ほんとうの自分が何だったかを知っていればの話だ。

僕らはみな、職場での役柄を家庭にもち帰ったり、恋愛関係に友人の役柄をもち込んだりしているが、自覚や意図をもってやっているわけじゃない。しかも、その役柄をどんなにうまく演じたところで、結局は満足できずに、気が滅入り、自信をなくし、みじめな気分を味わっている。

僕らが「自分」と呼んでいるものの姿は、ただでさえちっぽけで傷つきやすいうえに、ゆがんでいるからだ。

僕らは、他人にそう思われていると思っている自分の姿に忠実であろうとするあまり、自分の価値観さえも犠牲にしてしまう。いや、そもそも自覚や意図をもって、自分の価値観どおりに生きたことが一度でもあるだろうか?

僕らは他人の目に映る自分を見て、それが自分かもしれないと思っている。しかも、その屈折した自己像をもとに人生の決断を下していることに、たいして疑問も抱かない。

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