このように、90年代前半において、世界経済に大きな動きが生じたのである。繰り返すが、その動きとは、バブル崩壊や銀行の貸し渋りといった問題ではなく、新興国の工業化という世界経済の大きな構造変化である。
本来は、これに対応して日本の企業のビジネスモデルと産業構造そのものが、大きく変化しなければならなかった。
70年代から80年代のアメリカは、日本の製造業の攻勢を受けて、産業構造転換の苦しいプロセスを経験した。そして、製造業の比率が顕著に低下していったのである。
90年代の日本はその時代のアメリカと同じ状況にあったのだが、同じような対応を行わなかった。従来のビジネスモデルと産業構造を維持したまま、需要拡大を求めたのである。それを実現したのが、90年代中頃からの円安政策だ。
【関連情報へのリンク】
・米国商務省経済分析局
・財務省貿易統計
・財務省法人企業統計調査
早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授■1940年東京生まれ。63年東京大学工学部卒業、64年大蔵省(現財務省)入省。72年米イェール大学経済学博士号取得。一橋大学教授、東京大学教授、スタンフォード大学客員教授などを経て、2005年4月より現職。専攻はファイナンス理論、日本経済論。著書は『金融危機の本質は何か』、『「超」整理法』、『1940体制』など多数。
(週刊東洋経済2010年6月12日号 写真:今井康一)
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