ひろゆき「怒られることはリスクでない」と語る訳 万人に好かれなきゃいけないって本当に?

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おいらは何か失敗したときに、けっこう「あっ、これは友だちに話すネタになるな」という切り替え方をします。そうすると失敗を引きずらなくて済む。

裏返して言えば、ネタにできる場や相手がいない人は、そういう切り替えができないのできついと思います。

要は、いっぱい地雷を踏んでも、「飲み会のときのネタ話になるからいいかな」と思っていられるように、「気楽に話せる仲間をつくっておきましょう」というのが、いちばんの地雷対策ということではないでしょうか。

そうしたら、地雷を踏んだときに「やったー」と思えるはずです。「このくらいで怒るのは相手がおかしいよね」というのは、職場の同僚もわかってくれるはずで、普通は自分のマイナスにはならないでしょう。

ちなみに、おいらはめちゃめちゃ石橋をたたいて渡る派です。「地雷が爆発しても安全」と思えるくらい石橋をたたいているので、怒られることはおいらにとってリスクにならないというわけです。

「相手の人に嫌われたらどうしよう?」と悩むのではなくて、「この人に嫌われて、一生この人と会わなくても特に困らんな」というところまでシミュレーションします。

つまり、先に最悪の状況の想定ができているので、地雷を踏んでも「あー、そうですよね」で、はい、終了……と。

怒られるのはおいしい

人に怒られることじたいをマイナスと感じる人もいるでしょうが、特に傷ついた人がいなくて実質的に損害がない場合、怒っている人を見られるというのは、おいらにとってはエンタメなのですよ。

会議で怒っている人とかはめちゃめちゃ好きで、「わー、怒ってる、怒ってる」と、かなり面白がっています。

怒っている人に、どういうボールを投げたら怒りが上がったり下がったりするのかというのを試すのもけっこう好きです。怒りのガソリンをわざとくべて、「おっ、すげー、そこで机たたくか!」とかを、心の中でニヤニヤしながら見ています。

殴られても「ちょっとおいしい」ぐらいに思っていますからね。実際に殴られたらけっこうお金がもらえるじゃないですか、なので「お得」みたいな……。

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