1938年創業の紀文食品が今になって上場した理由 堤裕社長「企業価値を高め社員に喜ばれる会社に」

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長田:業界2位を大きく引き離し、ダントツのトップ企業になった秘訣は何だったのでしょうか。国内で急成長した「紀文神話」の復活は海外でも見られるでしょうか。近未来ビジョンについて話してください。

:成功要因は世の中の流れに乗れたということでしょうね。昭和23(1948)年に工場を持ち、水産練り物製品の大量生産をスタートしました。おいしいものを出せば売れる時代で、よい商品を出すという当たり前のことを徹底してきました。百貨店全盛時代にその名店街に出店し、雑誌などで紹介されたこともあり、「紀文」のブランドが消費者に定着しました。

その次にスーパー躍進の時代が訪れました。この頃にチルド物流の全国ネットワークを築きました。他メーカーが供給できないところまで攻め込み、全国で棚(販売契約)を取ることができたわけです。

もう1つの成功要因として、食生活の変化がありました。1960年から1970年代にかけての高度経済成長期において、地方から中卒や高卒の学生が大挙、東京へ集団就職してきました。そして、彼らはそこで家庭を持ちました。つまり、親と同居しない核家族が増えたのです。

その結果、例えばそれまで地域ごとに長く続いたおせち料理ですら、「その家、その土地の味」ではなく、若い夫婦が新たに生み出す「新しい家の味」になっていったのです。そのような流れの中で、NHKテレビの「今日の料理」が人気番組になりました。

「おせち料理の紀文」が定着したワケ

当社は同番組で起用された料理研究家の土井勝さんとタッグを組み、「おせち料理の紀文」と打ち出しました。これが大成功。かつては、おせち料理というと、年末にお姑さんとお嫁さんが一緒になって手作りしていました。非常に面倒な料理で手間と時間がかかりました。そこで、紀文は「おせち料理は、 自ら作らなくても並べるだけでいいですよ」と提案しました。

料理作りに手間をかけなければ、当然、その他に使える時間が浮きます。そこで、おせち料理の定義を変えて訴求しました。元日は年神様が来て一緒に食事をするための日。そのための時間を大切にしましょうと。この提案が消費者に浸透し、「おせち料理の紀文」が定着したワケです。

おせち料理の分野で確固たるブランドを確立した(撮影:今井 康一)

1970年代に入ると食の洋風化が顕著になります。そこで推奨したのが、はんぺんをフライパンでバター焼きするといった料理方法です。

この時代に家庭を持った人たちが、今、60代から70代になっています。この世代に対して打ち出した小さな提案が、大きなイノベーションを生んだのです。言い換えれば、われわれは、ワクワク感を提供したと言っても過言ではありません。海外市場でもワクワク感を創出します。

60代から70代は、当社製品のロイヤルユーザーであり、向こう20年間は消費を引っ張っていく存在です。100周年まで、国内ではこの層をしっかり確保しながら、海外では新市場を開拓していきます。

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