映画「東京クルド」が伝える入管制度のリアル 監督が語る「身近な難民」を5年間取材した経緯
6月某日。7月10日から公開されているドキュメンタリー映画『東京クルド』の試写会に伺った際、席の前方に、マスクをした日向史有監督が座っていた。上映後に挨拶を交わす人がいて、監督とわかったのだが、そのことをインタビュー前に話すと、「ぼく、毎回見ているんです」という。
「最初のときに修正点を見つけたものですから。一瞬ですが、ラマザンの家のシーンで、弟の体操着に縫いつけてある(ファミリーネームの)名札が小さく映り込んでいたんです。ファミリーネームは出さないと決めていたので」
体操服の名札にそこまで? 監督がこれほど細部に神経をつかうのには、理由があった。それはインタビューしていくうちに納得させられることだった。
青春映画のようなオープニング
作品のファーストシーンは、オザンとラマザン、10代の彫のふかい若者ふたりがボウリングに興じている。髪を刈り上げた今ふうのオシャレな若者が、カーブや直球の投じ方を教えあう長閑(のどか)な会話(ふたりとも日本語ペラペラ)からは、その後の彼らが背負う日々の悩みはまったく読めなかったりする。「クルド難民」のふたりを主人公にしたシリアスなドキュメンタリーながら「青春映画を観るよう」とも評されるのも、切り込み方の異色さからだろう。
ふたりは東京近郊に暮らしている。幼いころに母国トルコを両親とともに逃れ出て、日本にたどりついた。小・中・高校と日本の学校で学び、10年近く日本で生活している。両親とはクルド語、年下のきょうだいとは日本語で話す。
そんな彼らの日常をカメラは5年にわたって追っていくのだが、「難民問題って何?」「クルド人って?」「入管法改正議案は何が問題なのか?」というひとにこそオススメしたい。というのも、筆者のわたし自身が恥かしいくらい何の予備知識もなくこの映画を観てしまい、目にした出来事の数々が衝撃的で、観終わってから焦って何冊も「入管」「難民」について書かれた本を探して読みだした。
ラマザンは将来「通訳の仕事をしたい」という夢をもっていた。英語を勉強するために専門学校を何校もまわるが、入学がかなわない。高校を中退したオザンは「ここで生きている価値がない。ムシ以下なんですよね」と監督にこぼしながらも、建物の解体現場で黙々と作業し、家計を支えている。
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