群馬の小さな町が直面し続ける移民流入の現実 大泉町、日本屈指の外国人タウンが歩んだ30年
群馬県でいちばん小さな町「大泉町」に住む外国人の数は7997人(大泉町調べ・令和2年1月31日時点)。人口わずか4万2000人ほどの町民のうち、およそ5人に1人が外国人だ。日本有数の外国人タウン、といっても決して大げさではないだろう。
時代をさかのぼると、1986年時点では、町内の外国人居住者の数はわずか222人だった。現在は外国人居住者の大半を占める4580人のブラジル人も当時は0人だった。
製造現場の担い手としてブラジル人が多数移住
町が一変するのは1990年を迎えてからだ。SUBARUや三洋電機(現・Panasonic)、味の素といった大手企業の製造現場において深刻な人材難が生じた。1990年に入管法が改定され、定住者への在留資格が創設された影響で、1992年には一気に2304人の外国人が移住をしてきている。
そのうちブラジル人は1528人を数え、大泉町は“日本のブラジル”と呼ばれるほど南米系のコミュニティーが強くなったのだ。母国よりお金が稼げるいわゆる“出稼ぎ”労働者と、労働力を求める自治体の意図が合致したことで、多くの南米からの移民がこの地を目指した。
そして、この勢いは一時的なものでは終わらなかった。2008年のリーマンショックでは一時的に約80%の日系人は解雇に至っている。全国約32万人の日系ブラジル人の数が、約16万人に減少したあおりを受けるように、多くの居住者はこの町を離れた。それでも不思議なことに、数年後には彼らは再び大泉町に戻ってきていた。
ブラジルタウンであった大泉町に新たな変化が生じたのは、この数年のことだ。
移民政策へと舵を取った日本政府の政策の影響で、日本人は減少傾向にもかかわらず、外国人の定住者の数は増え続けており、5年前と比較しても実に1200人以上が増加。とくにアジアからの移民の増加が顕著で、10年間で1000人近いアジア系の移民がこの町に移り住んでいる。
今何が起きているのか。変化の時を迎えている大泉町を歩いた。
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