五木寛之「風がなくても帆を上げて風を待つ意味」 孤立の時代に見直される「声」の力、「諦め」の力

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――『夜明けを待ちながら』の新しいまえがきには、「コロナ禍が過ぎれば、夜が明けるのだろうか。いや、それほど人生は甘くはない。私たちは『夜明けを待ちながら』ただ黙々と歩き続ける旅人のようなものかもしれないのだ」という一節があります。

五木:その本の努力について語っているところで、「風を待つ」という話をしています。いくらヨットで走りたいと思っても、風が吹かなければヨットは走りません。無風状態では走らない。だからといって帆も上げないで昼寝をしていたのでは、せっかくいい風が急に吹いてきても、ヨットは走るチャンスを逃してしまう。

だから、「風が吹かなきゃ動けないよ」と諦念を含みながら、風を待ち構える姿勢はもっておく。夜明けを待つうえでも、その両方が必要なんじゃないか。

吹かないかもしれない風を待つ

――でも、風が吹くかどうかはわからないわけですよね。

五木:それは運だからね。人間、一生を振り返って、やっぱり運だなあ、と思うことってたくさんありますよ、努力だけじゃない。ラッキーな人もいるし、運の悪い人もいます。だって、健康ひとつとっても、その人間の持って生まれた体質があるじゃないですか。放ったらかしても100歳以上生きる人もいるしね(笑)。

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――いくらデータの時代といわれても、偶然性や運からは逃れられないように思います。

五木:そうですよね。どういう両親に、どういう資産の家に生まれるかなんか、計算のしようがない。そう考えると、人生の不条理、社会の不条理という問題が大きく浮かび上がってきます。

まったく風が吹かないときに、いくらヨットを走らせようと思ってじたばたしても走ってくれません。残念だけれども、人生や世の中もそういうものです。そんなに平等でもないし、楽しくも明るくもないし、希望に満ちているものでも幸福なものでもなんでもない。そして人が生きていくということは、ある意味では悲しみや、つらいことや、不条理とか納得のいかないことに充ち満ちているんです。

――だけど、待ち構えておくんですね。

五木:そう。風が吹いて走れたら、思いがけない幸運を喜べばいい。でもまた風が止まってしまうこともあります。「夜は必ず明ける」と言うけども、夜が明けても、また夜は来るんだから。そういうことを繰り返しながら、時代は動いていくんです。

斎藤 哲也 ライター・編集者

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さいとう てつや / Tetsuya Saito

1971年生まれ。東京大学文学部哲学科卒業。ベストセラーとなった『哲学用語図鑑』など人文思想系から経済・ビジネスまで、幅広い分野の書籍の編集・構成を手がける。著書に『試験に出る哲学 「センター試験」で西洋思想に入門する』がある。TBSラジオ「文化系トークラジオLIFE」サブパーソナリティも務めている。

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