先の私の地方の私立小学校の近所の喫茶ルームは、遠方から通う子弟の送迎をするママでいっぱいなのだそうです。子供の終業をそこで待っているのだそうですが、そこでのお付き合いがまた大変だと言っていました。我が耳を疑いましたが、時間持ちの人たちが時間をどのように使おうが、勝手ですからね。
もう一つの私立校は国道に面していて、そこに入学できてとても喜んでいた知人がいますが、子供をお迎えに行った知人の目の前で、その子供がトラックにひかれて永遠の別れをしました。“我が子を近くの公立校へ行かせなかった自分の罪だ”と、立ち直るのに随分時間がかかりましたが、公立校へ通う子供の事故だって、引きも切りません。
私立へ通うと地域のお友だちができにくいと言われますが、それも公立だってすぐに塾通いが始まったりして、昔ほど地域のお友だちと遊ぶ時間はありません。
結論ですが、親が子に夢や希望を託し、そこに誘導したり、学校を選択するのは少しも悪いことではないと思います。ですが、ただ雨の日も暑い日も時間をかけて(そしておカネもかけて)通うわけですから、子供の個性を見極め、その選択を子供に納得させるだけの理由が必要だと思います。漠然とした憧れから始まったとしても、受験の動機や目的を親子で共有できることが大切だと思います。
子供時代にもっと遊ぶ環境を
私はそれよりも気にかかっていることがあります。私たちが幼い頃は、そんなに田舎ではありませんでしたが、小学生時代は本当によく遊びました。菜の花やコスモスが揺れていた河原や公園、お寺の境内・原っぱへ行けば誰かが遊んでいましたし、夕暮れまで、文字通り泥んこになって遊びました。
あの頃の記憶は私の掛け替えのない思い出で、折に触れ私を和ませたり励ましたりしてくれるものです。時代が違うといえばそれまでですが、今の子たちにこの時代の思い出として残るのはどのようなものでしょうか。
路地裏からすっかり子供たちの遊ぶ姿が消えた今日、この子供たちが将来今を振り返って、思い出がテレビとゲームと塾通いと時たまの親主導の遊びだったとしたら、かなり気の毒です。
この時期の、友だちと自由に外で遊ぶ環境を奪った大人の責任は計り知れず、地域ぐるみで何とかできないかいつも気をもんでいます。これからの育児には、このことにも心を留めてほしいと願うばかりです。
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