菅首相とメルケル首相の埋められない決定的な差 「ナラティブ不在」で右往左往のオリンピック

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2020年4月1日。安倍晋三前首相は、「全世帯に再利用可能な布マスクを配布する」と発表した。「アベノマスク」と揶揄されることになるこの政策は、新型コロナウイルス感染拡大により深刻化していたマスク不足に対応したものだが、その後、さまざまな波紋を呼んだ。

「優先順位の高い政策課題ではない」と野党は指摘し、470億円近い費用や、その調達先にも疑問の声があがった。5月中旬までの完了を目指していたマスク配布は遅れに遅れ、ようやく全戸配布が終わったのは6月も半ばになってから。使い捨てマスクの品薄も解消され始めていた頃だ。安倍前首相は政策の正当性を主張していたが、10月に発表された「新型コロナ対応・民間臨時調査会」の報告書では、「アベノマスクは失敗」という官邸スタッフの証言が報道された。

アベノマスクが本当に政策として失敗だったかどうかは、人によって判断の分かれるところかもしれない。しかし、そこに「ナラティブの要素」があったかと言えば、それはほぼ皆無だ。アベノマスクは一方的に国民に配布告知され、とにかく全戸配布を完了することだけを目的に遂行されたように見える。ナラティブ不在のマスク配布は、まるで「サンプリング」のようだ。

アベノマスクに限らず、歌手の星野源の「うちで踊ろう」に便乗した動画(通称「アベノコラボ」)も、多少なりともナラティブ的なアプローチを意識したのかもしれないが、残念ながらお寒い結果に終わった。

菅政権でナラティブ不足が悪化?

そもそも日本政府の動きは、海外の政治リーダーと比較してもナラティブ不足の感が否めない。そして、それは菅政権に移行して、悪化しているようにさえ見える。「説明が不足している」「スピーチが下手である」――これらは、日本の政治リーダーや企業リーダーに対して頻繁に向けられる評価だ。しかし、その本質は、「ナラティブ力の不足」なのである。いくら説明を尽くそうが、スピーチの工夫をしようが、そこにナラティブがなければ人は動かない。

1964年の東京五輪にはナラティブがあった。それは戦後日本の復興の物語だ。国民はもとより、企業やマスコミも含めたすべてのステークホルダーにとって、東京五輪に関わることはすなわち「復興のナラティブ」という共創的な物語への参画そのものだった。もとより言われていた「東日本大震災からの復興」というナラティブも存在感を失い、コロナ禍で混乱に混乱を重ねた2021年の東京オリンピック。オリンピックの理念は普遍的なものだろうが、日本政府の「ナラティブ不在」という弱みをあらためて顕在化させたことは間違いない。

本田 哲也 本田事務所代表取締役、PRストラテジスト

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ほんだ てつや / Tetsuya Honda

「世界でもっとも影響力のあるPR プロフェッショナル 300 人」に 『PRWEEK』 誌により選出されている。「PRWeek Awards 2015」にて「PR Professional of the Year」受賞。1999年に世界最大規模のPR会社フライシュマン・ヒラードの日本法人に入社。2006年ブルーカレント・ジャパン代表。2019年より現職。著書に『戦略PR 世論で売る。』(アスキー新書)、『その1人が30万人を動かす!』(東洋経済新報社)など。国連機関のアドバイザーなどを歴任。世界最大の広告祭カンヌライオンズで公式スピーカーや審査員を務めている。公益社団法人日本パブリックリレーションズ協会(PRSJ)理事。

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