斜陽の「地方ラジオ」を買収したMBA学長の勝算 茨城発「日本の新しい地方創生モデル」を目指す
筆頭株主になった僕は、「i-fm IBS茨城放送」から「LuckyFM茨城放送」へと愛称を変えた。本当に変わるんだという決意と茨城という県名のルーツを表したネーミングだ。この愛称で「ラジオをやるつもりがない」とはどういうことか。
僕がやりたいのは、音声を電波に乗せて放送するだけの「ラジオ事業」ではない。インターネットを使って動画やテキストコンテンツも配信する新しい「音声メディア」だ。これはまだまだやりようがある、むしろこれから伸びる事業だ。
また「LuckyFM」を「データドリブン企業」にする目論みもある。従来ラジオ局はリスナーのデータを取得することができなかった。これからの時代、顧客(ラジオ局にとってのリスナー)のデータを握ることなくビジネスを成功させることなんて不可能だ。
ではどうするか。イベントを使うのだ。実はラジオ局にとってイベントは大きな収益の柱だ。茨城でも「チームラボ 偕楽園 光の祭」や「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」などの十万人規模のイベントがあり、ラジオ局が主催することが多い。じつはすでに、茨城放送の無料ウェブ会員に登録し「いばとも」になると「いばチケ」でチケットを購入できる仕組が構築されている。これにより購入履歴などのデータを握ることも、効果的に顧客と関係を結ぶことも可能だ。
また、首都圏に電波が届かないからナショナルクライアントのスポンサーが獲得できないという事情も、裏を返せば、首都圏に電波を届けさえすれば、大きなチャンスがそこにあるということを意味する。そのためには東京スカイツリーのように高いところから電波を流さなくてはいけないのだが、大丈夫、茨城には筑波山がある。
こう考えると、茨城放送は可能性に充ち満ちていた。もちろん、すべてが思うとおりうまくいくとは限らないが、僕はこの可能性を信じ、賭けることにした。
言うまでもなく、僕一人の力では何もできない。この計画には、多くの仲間の力と、組織の力が必要になる。
だから買収後、まず着手したのがステークスホルダーへのヒアリングだ。社員、パーソナリティー、アナウンサー、株主、スポンサー、リスナーに、彼らが茨城放送をどう思っているか、これからの展望をどう考えているか、話を聞いた。「魅力のある番組が少ない」「予算がなく作りたい番組も作れない」など、さまざまな声を聞くことができた。
次に、その疑問や心配の種を、膝をつき合わせて、ひとつずつ潰していく。たとえば「i-fm」や「IBS」といった親しみある名称を捨てることに対する不満もあった。そのたびに僕は、なぜ「LuckyFM」としてリブランドしなければならないのかという理由と、地方放送局の魁モデルになれる可能性を、勉強会などを通して、繰り返し粘り強く語り続けた。そうすることで少しずつ理解と信頼関係が生まれ、組織の新しい文化が醸成されていった。
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