自民党内でも加藤紘一幹事長が、ガイドラインは「中国を念頭においていない」と明言したのに対して、梶山静六内閣官房副長官は、台湾海峡が「周辺」に含まれるとの異なる認識を示した。外務省は「周辺事態」は地理的な概念ではないという解釈を示し、台湾海峡に安保条約が適用されるのかを明言しなかったが、そのことは台湾問題に対する日本政府の姿勢の曖昧性を改めて浮き彫りにした。
2021年4月の日米共同声明に議論を戻すと、「台湾」が明記された背景としては、中国の軍事拡大や、米中対決の激化もさることながら、台湾問題をめぐる日本の「政治的立場」を支えてきた自民党の親中派が力を失ったことも無視できない。
自民党において、田中派―経世会が圧倒的な影響力を誇った1980年代から1990年代初頭は、経済建設を目指す中国側とそれを支援する日本側との間で利害関係が一致した時代でもあった。経済協力をテコに日中間で構築された政治レベルのパイプは、日中関係の悪化を防ぐ歯止めになってきた。
しかし、1990年代後半から進められた政治改革・統治機構改革のなかで、自民党内の派閥は弱体化し、日本の対中政策決定の中心も非公式ルートから首相官邸へと移った。これまで政府内だけで了解されていた内部向け解釈が、オープンの場で語られるようになった背景には、対中政策をめぐる国内政治のバランスの変化があるといえよう。
日本に求められる能動的な働きかけ
とはいえ、台湾問題をめぐる日本政府の立場が根本的に変化したわけではない。「台湾海峡の平和と安定を求める」という立場は、この半世紀における日本の一貫した主張である。日本に求められるのは、この台湾問題の「平和的解決」に向けて、いかに能動的に働きかけられるかであろう。
日米同盟の実効性を高め、中国への抑止力を強化することは不可欠であるが、日本有事へと直結する台湾有事が現実のものとならないために、中国との間で政治レベルでの信頼醸成を再構築することも重要である。「台湾条項」をめぐる戦後日本の対応は、一見矛盾するかのような日米同盟と日中提携を両立させてきた歴史でもある。こうした対中外交を支えてきたのは、さまざまな矛盾や対立を抱えながら、大局的見地に立った政治指導者たちであった。約半世紀ぶりに日米共同声明で「台湾」が明記されるなかで、日本外交にも積極的な役割が求められているといえよう。
(井上 正也/成蹊大学 法学部教授)
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