日本と台湾「52年ぶりの出来事」に映る有事の備え 日米共同声明「台湾条項」の戦後史から考える

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また台湾問題を考えるうえで無視できないのは国内政治である。憲法問題が保革両陣営の一大争点であったように、中国政策(台湾問題)もまたしばしば自民党内の権力闘争と結びついた。

例えば、田中角栄と福田赳夫が激突した1972年の自民党総裁選は日中国交正常化が争点となり、国交正常化後も日中航空協定交渉をめぐって、親台湾派が大平正芳外相を激しく攻撃した。台湾問題と派閥対立の連動は、自派に親台湾派が多くいた福田赳夫首相が、党内合意を取り付けて、日中平和友好条約の締結に踏み切るまで続いた。このように台湾問題をめぐって出された玉虫色の政府見解は、戦略的意図に基づくものというより、国内政治のアウトプットによるところが大きかった。

中国の関心は対ソ包囲網に向けられた

とはいえ、日中国交正常化以降、安保条約に関わる「台湾条項」が再び争点に浮上することはなかった。最大の要因はアジアの国際情勢である。1970年代に米中関係のデタントが進展するなかで台湾有事の蓋然性が低くなった。さらに日本側の予想に反して、中国側も安保条約に関わる争点を対日交渉で持ち出さなくなった。中ソ対立が激化するなかで、中国の関心は日米安保体制から対ソ包囲網に向けられ、対ソ戦略での足並みを揃えることが国交正常化後の日中関係の新たな争点になった。

かくして、「台湾条項」は、それを有効とする解釈と、日中関係を尊重する立場から発動されることはないとする政治的立場の乖離が埋められないままとされた。かつて、国際政治学者の永井陽之助は、憲法九条の解釈を、内部エリートに向けられた説明である「密教」と、大衆に向けられた説明である「顕教」の二重構造からなると論じたが、「台湾条項」もまた同様の構図があった。

外務省条約局が国会対策用に緻密にくみあげた内部向け解釈と、台湾有事は起こりえないという前提に立った一般向け解釈の二重構造が長らく維持されたのである。

こうした構造に揺らぎが見えはじめたのは1990年代以降である。台湾の民主化が進み、台湾海峡危機が生じると改めて台湾有事の可能性が懸念されるようになった。同じ頃、日本では安保条約に基づく日米ガイドラインの見直しに伴って、周辺事態法の制定が進められていたが、この安保条約の「周辺事態」に台湾が含まれるのかが大きな議論となった。

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