「成長するアジア」と日本はどう向き合うべきか 前アジア開発銀行総裁の中尾武彦氏に訊く
中尾:いま申し上げたのは、国際的な話、経済の話です。そこで3つ目は日本国内のことで、1つ目、2つ目の点を促進していくようなものの考え方を国内でしっかり維持して、作っていくことの重要性です。つまり極端な意見にいかず、右とか左とかいったことではない建設的で穏健で、知的な言説というものを日本国内で大事にしていく。それには過去のことをきちっと振り返るということも含まれます。
瞬時のSNS的な言動で左右されないような、民主主義の基盤となるようなまっとうな考え方、専門性、歴史観というか、そういうものをもっと大事にしていかないといけない。いまは政府内の専門家である官僚、学者や既存のメディアなどの力が、いろんなことで弱っている。SNSなど手っ取り早いほうに流れがちですが、責任ある記事とか、責任ある書物とか、責任ある政策というのは、民主主義に不可欠です。そしてそれは、そのような専門の担い手たちを尊重する気風、一定の処遇があって、訓練と規律があって、担い手たち自身の矜持があってこそ成り立つものです。
公務員も1つの領域については専門性を持っているわけで、自らそれを高める努力をしなければならない。最終的には選挙で選ばれた政治家が決めるにしても、専門的な知識、知見があり、国民のために働こうという意欲があって、能力が高い官僚がいないと、いまのように多くの複雑な課題を抱える国の統治はうまくいきません。もっとも、日本だけでなく、ほかの多くの国にも言えることなのですが。
福沢諭吉の先見力に学ぶこと
宮城:中尾さんがみずほ総研のホームページで書かれた「(福澤)諭吉先生に叱られる」という論考がとても印象に残っていて、最後はそれと重なるようなお話でした。物事をよく観察し、道理をよく考え、人と談話して意見を交換し、最後に自分の所見を述べる重要性を福澤も説いていると。
中尾:福澤は、江戸時代の身分制度の中で閉じ込められて「無気力な」状況に置かれていた人々に向けて、四民平等になったのだから各人が「独立自尊」の気概をもって活躍せよと、はっぱをかけているんですね。また、何でも無批判に外国のまねをして取り入れようという態度も「粗忽」とたしなめている。
最近は何でも政府頼みの風潮があるのではないか、福澤の言う「人民の独立の気力」が弱まってはいないか。また、企業の統治、政府のあり方、大学教育まで欧米の、それもアメリカなど一部の国の一部の制度を取り出して、簡単にそれを模倣しようとする傾向がいまも日本に残っていないか、といったことが「諭吉先生に叱られる」のではないかと思ったのです。
それと福澤の人間性ですね。咸臨丸で渡米したときに2人の若い水夫と仲良くなって彼らのひどい待遇に憤り、上司に猛烈に抗議した。水夫の1人はサンフランシスコで亡くなってしまうのですが、そのお墓を設計するために現地にとどまって、完成を見届けてから使節団の後を追った。数年後に渡米したときも、わざわざ1人でお墓参りをしているんです。男尊女卑を心から憎んで、女性が家の中にとどまることも当然ではないと言っています。そういう人間性があったので、話にも説得力があったのだと思うのです。
宮城:福澤が書いたものを読んでも全然、入ってこない人と、中尾さんのように多くを感じる方がおられて。中尾さんの中にも福澤に通じるものがあるのかもしれませんね。
中尾:やはり私の出発点、気持ちのいちばん根っこには、G7とか、そういう欧米の中でつねにもまれてきたところがあるのです。たとえば、貿易摩擦が激しかったころには日米構造協議で、土地制度のことを何一つ知らないような米財務省の国際金融担当課長が、土地は全部、自由に取引できるようにすれば、いちばん効率的に使えるとか、アメリカでゾーニングといってどれだけ使用規制をしているか、全然知らずに無茶なことを言ってくるわけです。言うまでもなく、尊敬すべきところ、学ぶべきところもたくさんあります。とくに、G7で国際金融を担当している大臣代理たちとは、同じ国際的な課題に取り組む同僚の気持ちを共有しています。
それと、私ももともとは公務員ですが、国を発展させるのは国民の中から出てくるチャレンジ精神だと思っています。そういったことも、福澤にひかれる理由かもしれません。もちろん、民間の力を高めるような制度、教育、司法などを整備していく政府の機能は出発点であり、再分配や困った人たちを助ける政策も不可欠です。
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