10年後でも「違和感のない知見」に必要な視点 「今」を正確に捉えるために必要な「長い時間軸」

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例えば今日の日本で「少子高齢化」が問題にされない日はないが、長らく人口問題といえば、多すぎる人口をどうやって食べさせるのかという、人口過剰が問題だった。

しかし都市問題や住宅不足が多くの人々にとっての切実な問題だった1970年代には、専門家の間では日本の人口動態は長期的な減少傾向が指摘されていた。昨年の春には、コロナ禍にしても、専門家の間では感染症の危険性はずっと警告されていたことだし、グローバル化が爆発的に進展してきたことを考えれば、後から考えればこうなったのも不思議ではない。

コロナ危機対応の「論じ方」

また、日本政府のコロナ危機対応についても、ジャーナリズムの世界では毎日批判が繰り返されているが、これについてもしっかりとした検証に基づいた専門家による検討が必要なのは言うまでもない。

『アステイオン94号』でも、関係者への広範な聞き取り調査を実施したコロナ民間臨調の研究プロジェクトに関与した相良祥之が、「真実なくして検証なし、検証なくして提案なし」の精神に基づいて、2020年前半の日本政府の対応を検討している。この問題を論ずる前提として多くの人々に読んでもらいたい内容だ。

これからも一定の頻度で確実に起こる自然災害はもちろん、武力紛争やハイパーインフレといった明白な大問題がもし実際に起これば、「わかっていたはずではないか」、「どうして備えておかなかったのか」という声がまた上がるだろう。平素から専門家の問題意識を聞いておいて損はない。

しかしコロナ禍の過程でも明らかになったが、専門家の間でも意見が相違する問題は少なくない。それに専門家の間でコンセンサスがなくてもわれわれは何らかの決断を求められることは多い。

それより重要なのは、専門家が権威をもって語れるのは、細分化されているそれぞれの専門領域の中の限定的な問題だけだ。憲法の内容がどうあるべきかを決めるのは憲法学者ではないし、一国の対外政策や安全保障政策も、国際政治学者に決められるわけはない。感染症の専門家の知見がこれほど貴重な時代はないが、それですら感染症のリスクと対策の社会的コストの適切なバランスがどこにあるのかの判断は、専門家任せとはいくまい。

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