ケインズ「一般理論」が今でも実用性の高い理由 池上彰×山形浩生「教養としての経済学」対談
池上:勘違いのまま広がっていることはたくさんありますね。ケインズが、株の投資を解説するにあたって「美人コンテスト」のたとえを書いています。これも、当時の美人コンテストがどんなものだったかがわからないままに、現代の美人コンテストと重ねてしまうと、勘違いのもとになります。
当時は、大衆新聞に毎週10人ぐらいの美人の写真が並んでいました。「この中で誰が一番美人ですか」と投票を募り、1位になった美人に投票した人たちには商品が出るというものでした。
要するに、自分が美人だと思うものではなく、他人が美人だというものを予測して投票する。株も同じで、この会社を応援しようという人もいるにはいますが、大抵は「この株は上がるのかどうか」を考えるわけです。このたとえは、当時はぴったりでしたが、いまは正確に伝わっていないときがあります。
山形:SNSも同じような状態です。ケインズの有名な言葉に「長期的には我々は死んでいる」というものがあります。
これは、「死んでいるから、『長期的には解決するよ』と考えるのではなく、短期的に解決していきましょう」という意味です。
ところが、ツイッターを見ていると「長期的には死んでいるから、もうどうにもならないとケインズも言っている」なんて勘違いしている人がほとんどなのです。
こういった誤解も含めて、実際の解釈を整理しておいたほうがいいなと思っています。
常識すぎて忘れられたケインズの再評価
池上:戦後、ケインズやルーズベルトのニューディール政策に対する評価はいろいろありますが、山形さんは、ニューディール政策では十分な効果は出なかったが、その後、第2次世界大戦できちんと効果が出たというふうに評価していらっしゃいますね。
やはり、ケインズによってさまざまな雇用の問題や景気循環などがある程度は成功した。しかし、成功したがゆえに、かえって見捨てられてしまった。山形さんはそれを「オウンゴール」と表現されていますね。
しかし、その後に新自由主義が登場し、そして、リーマンショックによって、新自由主義でマーケットをすべて任せるととんでもないことになるという評価になった。ここには、マルクスの再評価とケインズの再評価があります。このあたりから、改めてケインズが見直されたのではないでしょうか。