歴史の奥深い「ヒップホップ」若者が虜になる背景 「ラップ」との厳密な違いを説明できますか?
1987年にデビューしたパブリック・エネミーは、グランドマスター・フラッシュ・アンド・ザ・フューリアス・ファイヴの楽曲「ザ・メッセージ」から連なる、コンシャス・ヒップホップの流れを拡大します。強く政治的なメッセージを打ち出し、多くのヒップホップ・アーティストが踏襲することになります。
1992年にロサンゼルス暴動が起きます。停止命令を無視して逃走した黒人青年が、複数の白人警官から暴行を受けますが、裁判では警官に無罪判決が下されたのがきっかけです。憤激した貧困層のアフリカン・アメリカンやラティーノの住民たちが暴動を起こし、町で略奪行為を行いました。
それまで東海岸の寡占状態だったヒップホップは、混沌とした社会状況を抱える西海岸にも広がっていきます。そして、「ギャングスタ・ラップ」が生まれ、東海岸と西海岸の東西対立の構図が生まれました。
「Niggaz Wit Attitudes(主張する黒人たち)」の頭文字をとったN.W.Aは、ドクター・ドレー、アイス・キューブ、イージー・Eらを擁するグループです。過激な表現を入れたラップは「ギャングスタ・ラップ」といい、1988年発表の「ファック・ザ・ポリス(Fuck tha Police)」は、タイトルからも痛烈さが伝わります。この曲は警察のハラスメントを歌っていますが、発売するやいなやFBIが問題視するほど波紋を呼びました。
暴力、性的、犯罪といった未成年者にふさわしくない表現があると認定された音楽作品に、全米レコード協会(RIAA)がステッカー添付で勧告する「ペアレンタル・アドヴァイザリー」が出てきたのもこのころです。
若者は「刺激が詰まった作品」と見抜いた
ペアレンタル・アドヴァイザリーは、PMRC(ペアレンツ・ミュージック・リソース・センター)という市民団体の活動によって導入された制度です。1988年に発表されたN.W.Aのファースト・アルバム『ストレイト・アウタ・コンプトン(Straight Outta Compton)』にも、ペアレンタル・アドヴァイザリーのステッカーが貼られました。
ところが、大人たちの狙いとは裏腹に、ステッカーが貼られることで「刺激が詰まった作品」だと若者たちが見抜き、売り上げが伸びる結果となります。ロックンロール登場のときと同様に、大人たちが「聴くな!」と声高にののしる音楽は、若者にとっての「かっこいい」であるのは世の常といえるでしょう。
その後、西海岸からはスヌープ・ドッグ、2Pacといった才能あるアーティストが続いて登場します。西海岸のヒップホップの存在感が増すことで、東海岸との対立抗争の構造が浮かび上がり、作品で互いに攻撃し合うビーフ合戦が始まります。対戦は激化し、西海岸では2Pacが、東海岸ではノトーリアス・B.I.G.が若くして命を落とすことになります。
一方、当時のロックシーンに目を移すと、イギリスでもっとも人気を得ていたロックバンドのレディオヘッドが、1997年に『OKコンピューター(OK Computer)』というアルバムを発表します。それまでのギターサウンドは鳴りをひそめ、サンプリングを多用した路線にシフトしますが、これは今日のヒップホップの覇権を予測する出来事だったかもしれません。
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