歴史の奥深い「ヒップホップ」若者が虜になる背景 「ラップ」との厳密な違いを説明できますか?
ブロック・パーティーから誕生した、カリスマ的DJが3人います。
1人目はジャマイカ系のクール・ハークです。ハークは、ターンテーブル2台に同じレコードをかけて、パーティーが盛り上がるブレイクの部分をつなぎ続けました。
ブレイクとは、ドラムのリズムだけになる部分のことです。これをリプレイしたハークの発想が、「ブレイクビーツ」という技術の源流となります。また、ブレイクに合わせるダンサーたちの踊りは流行して、「ブレイクダンス」と呼ばれるようになります。
2人目、アフリカ・バンバータは、地元ギャングのボスでした。当時のブロンクス地区にはギャング組織がたくさんあり、縄張り争いが絶えず、殺し合いも起きていました。人望が厚いバンバータはギャングたちを次々と自分の配下に取り込み、抗争をまとめるために、銃撃戦の代わりとしてダンス・バトルを提案したとされています。
3人目、グランドマスター・フラッシュは、DJの技術を追求した、ヒップホップ史における重要な人物です。レコードを擦ってリズミカルな音を出す「スクラッチ」の技術は、フラッシュが確立させたといわれています。
この時期の花形はDJとダンサー
ヒップホップの4大要素は、DJ、ブレイクダンス、グラフィティ、ラップとされていますが、この時期のヒップホップの花形はDJとダンサーでした。司会者(MC)は当初、サポート役でしたが、ブレイクビーツに合わせて韻を踏み始める人が出てきて、今のラップの原型となります。スプレーやフェルトペンなどを使って壁などに描くアートのグラフィティは、新しい絵画表現としてニューヨークのアートシーンに受け入れられます。
アフリカン・アメリカンの女性、シルヴィア・ロビンソンはヒップホップに注目し、1979年にシュガーヒル・レコードを創業。ブロンクスでヒップホップをやっている若者たちに、レコードを出さないかと声をかけてまわりますが、軒並み無視されます。
しかし、ロビンソンはあきらめず、ニュージャージーから素人の若者3人を連れてきて、レコーディングさせます。彼らはシュガーヒル・ギャングと名づけられ、1979年に発表した「ラッパーズ・ディライト(Rapper's Delight)」は世界で200万枚のセールスを叩き出したのです。
ブロンクスのコミュニティからは大ひんしゅくを買いますが、皮肉にもヒップホップはブレイクし、感度の高い白人アーティストたちも興味をもつようになります。
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