ハリウッドの名優らが示す「映画の笑い」の神髄 「カムバック・トゥ・ハリウッド」のコメディー度
そこで「何か愉快な企画はないか?」と相談されたギャロ監督が、「いい企画があるよ」とばかりに提案したのが本作品だった。脚本を読んだデ・ニーロはこのオファーを即決。その後すぐにトミー・リー・ジョーンズやモーガン・フリーマンらの出演も決まった。ギャロ監督はインタビューで「1週間で映画の骨子がまとまったが、成立するまでには17年もかかったよ」とコメントしていたが、その言葉通り、この映画が成立するまでには紆余曲折があった。
この作品のベースとなったのは、ハリー・ハーウィッツ監督の自主映画『The Comeback Trail(原題)』。同作の撮影は1974年に行われており、1982年に一部で限定公開されただけだったというが、同作には雑誌『プレイボーイ』の創刊者として知られるヒュー・ヘフナーがほんの短い「カメオ出演」を果たしていた。彼自身、同作がお気に入りで、ギャラ代わりにもらったという同作のフィルムを、彼がロサンゼルスに所有していた豪邸「プレイボーイ・マンション」で定期的に上映していたという。そうした理由もあり、映画業界では知る人ぞ知るという幻の作品だった。
1974年当時、18歳だったジョージ・ギャロ監督は、その作品を偶然にも鑑賞する機会に恵まれる。学校をサボって、ニューヨーク・シティーでのコミックブックのコンベンションに参加していた彼は、そこで未完成の映画のラフカット(粗編集)版を観ることになる。
「コミカルな天才的発想」に感銘
映画そのものの出来に関して思うところはありつつも、多額の保険金をかけた俳優が危険なスタントで死亡することを望んでいるというアイデアに関して、「まさにコミカルな天才的発想だ」と感銘を受けたという。そしてギャロ監督は、映画監督としてこの作品をリメークしたいと思うようになる。
だが、18歳のギャロ監督には映画業界へのツテはなかった。その後、ギャロ監督はなんとかして映画業界に入り、脚本家として『ミッドナイト・ラン』を成功に導く。そして、いよいよ念願の『The Comeback Trail(原題)』のリメークに取りかかろうと動き出すも、権利者を探し出すのは困難を極めた。
権利を持っていると主張する者を探し当てても、結局は権利を持っていないということが判明しただけだった。かくして時は過ぎていったが、彼の頭の中から『The Comeback Trail(原題)』をリメークしたいという思いが離れることはなかったという。
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