「収納がない家」に住む私が直面した想定外の事 「キラキラ」を放棄するとはどういうことか

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いやいやこんな家見たことないんですけど! 不動産屋さんも「ここで暮らすのは現実的じゃないかも」と苦笑いしている。

なるほど。何かを取れば何かを失うのだ。この家賃にしては貴重すぎる「見晴らし」を得るには、それだけ大きな代償が必要だった。人魚姫が地上に上がるために声を失ったように、ここで暮らすには、私はいっさいの所有物をことごとく手放さねばならない。

そして今後は収入が激減するわけだから、手放した同等のものを再び手に入れることは不可能と覚悟すべきであろう。

つまりは、お金だけでなくモノも一気に失う。「ランクを落とす」どころじゃない。ランク外の暮らしへ転落すると言ってもいい。

ずっと「買うこと」のために人生を費やしてきた

いやね、正直、めちゃくちゃ悩みましたよ。何よりその先の人生ってものが、もうまったく想像がつかなかった。当然である。改めて考えてみれば、私はずっと「買うこと」のために人生を費やしてきたのかもしれない。洋服狂いであり、化粧品狂いであり、ついでに食狂いであった。一言で言えば「グルメとショッピング」ってやつですな。現代の典型的な消費者。

毎シーズン山のように服を買い、流行の化粧品をチェックして、エステなんぞにも通っちゃったりして、話題の美味しいものを食べ歩いた。それこそが幸せであり、それを目一杯楽しむために、ストレス満載ながらも会社での競争に果敢に参入し、なんとかそこそこの位置につけ財力を手にした自分をイケていると思っていたんだよ当時の私は。だからこそ人様も自分に一目置いてくださるのだと信じて生きてきた。

今にして思えば、実際にイケていたかどうかも一目置かれていたかどうかもまったく不明。でも肝心なのは客観的評価より自分の納得だ。私は間違いなく、そんな自分であることを心の拠り所にして生きてきた。改めて考えるとバカじゃないかという気もするが、実際にそうだったのだ。

で、そんな幸せが一気に私の眼の前から消えると。そして人生100年とすれば、その状態であとの半世紀を生き続けると……。

それって……どういう人生なのか?

っていうか、それってそもそも「私」と言えるのかね。

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