「収納がない家」に住む私が直面した想定外の事 「キラキラ」を放棄するとはどういうことか

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もちろん、いくら考えても答えは出なかったし、他に魅力的な選択肢があるわけでもなかった。限られた予算ではそれなりの物件しかないのであり、腰が引けるような家々を見まくって意気消沈していた身としては、多大なる欠点はあれど愛すべきジャジャ馬のようなこの家を乗りこなすしかないという心の声が勝ったのである。

のるか、そるか。そんな切羽詰まった気持ちで不動産屋さんに電話したときのことを今も思い出す。「あの家に決めようと思います」。後には引き返せない三途の川を渡った気分であった。

ナイフとフォークはなくていい

というわけで、前代未聞の怒涛の「モノ捨て」開始である。何しろ収納ゼロということは、持ち物をゼロにしなきゃいけないということだ。さすがに裸で生きるわけにはいかないので小さな中古タンスを1つ買ったが、ここに服もコートも山の道具も仕事の資料も下着もパジャマもリネンもタオルも全部入れなきゃならんとなると、もうほとんど何も入らないに等しい。

当時住んでいた高級マンションのウォークインクロゼットやらシューズインクロゼットやらから引っ張り出した我が持ち物は、実際に目前にすると小山のようであった。こんなんあのタンスになんて絶対入らない。これはもうマジでえらい事態だということに、私は改めて気づいたのである。

いわゆる世間でいう「断捨離」とは、使っていないもの、要するにいらないものは処分してスッキリ生きようってことだと思うんだが、私が直面したのはそれとはまったく次元の違う事態である。

私は要らないものじゃなく、要るものまで処分しなきゃならんのだ。

というか、何が「要るもの」なのかという定義を大幅に変更しなければならないのであった。「これってときめく?」などという可愛らしい問いを発している場合ではなく、「これがなきゃ死ぬかどうか」という次元まで落として考える羽目になったのである。

それがどういうことかと言いますと、例えばウンウン考えた挙げ句、私はフォークやナイフやスプーンをすべて処分した。さらにお玉やらフライ返しやら泡立て器やらの調理道具セットもすべて処分した。残したのは箸2膳と小さな木のスプーン1個のみ。

ナイフとフォークがなくとも箸さえあれば、必要なら歯で食いちぎって食べれば良いし、料理するのも食べるの自分なんだから鍋をかき回したスプーンで食事すれば良いのである。

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