テクニウム、衝撃の利己的なテクノロジー Wired創刊編集長が描く「テクノロジーが望むもの」

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答えは、「適応」という概念の中にあった。生命とテクノロジーにはこの概念において決定的な違いがある。進化における適応力とは、生き残りの問題を絶えず解いてくれる創造的なイノベーションである。だがこれは、信じられないような無意識の力としての、盲目的な自然選択だ。

一方でテクニウムにおける適応の機能は、決して無意識なものではない。それは人間の自由意志と選択に開かれている。つまりテクニウムがある種の必然的なテクノロジーの形に自らを進めていくという主張は、運命ではなくて、方向を示しているに過ぎないのだ。

これからのテクノロジーとの付き合い方とは?

『TECHNIUM テクノロジーはどこへ向かうのか?』(みすず書房、税込み4860円)

我々は人工物としてのテクノロジーを考える際に、生命の尊さより一段劣るものとして捉えがちである。それゆえ、制御可能な道具であるはずのテクノロジーに顕著な利己性が認められた時、過敏に反応してしまうケースも多い。だが、やがて子が親から独立していくように、予めテクノロジーの自律性・利己性を認め、我々の選択の余地が残されていることを忘れないこと、またそれが我々自身の一部であることを自覚すること。それが、これからの時代のテクノロジーとの向き合い方ではないかと著者は語る。

「科学・テクノロジー」などとひとくくりにされることも多いが、両者は互いに独立した似て非なるものである。科学の自己変化の中心にはテクノロジーがあり、新しい道具は新しい知識を生み出してきた。突然変異とイノベーション、進化論とムーアの法則、相似形のものが交互に重なり合いながら、世界は前進してきた。

歴史を通底する何かに触れることの奥深さ、そして異なるジャンルのエッセンスを重ねあわせることで見えてくる、新たな世界観。本書はまさに、生命とテクノロジーを結ぶ大統一理論の様相を呈していると思う。

テクノロジーがより一層の情報化、非物質化へと歩みを進める昨今であるからこそ、そこに身体性のようなものを見出すことの価値は大きい。そして何よりも、後に古典的名著と呼ばれることが確実な一冊をリアルタイムで楽しむことが出来るのは、幸せなことであるというより他はない。

内藤 順 HONZ編集長

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ないとう じゅん / Jun Naito

HONZ編集長。1975年2月4日生まれ、茨城県水戸市出身。早稲田大学理工学部数理科学科卒業。広告会社・営業職勤務。好きなジャンルは、サイエンスもの、スポーツもの、変なもの。好きな本屋は、丸善(丸の内)、東京堂書店(神田)。はまるツボは、対立する二つの概念のせめぎ合い、常識の問い直し、描かれる対象と視点に掛け算のあるもの。

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