テクニウム、衝撃の利己的なテクノロジー Wired創刊編集長が描く「テクノロジーが望むもの」

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このテクニウムという聞き慣れないスコープでテクノロジーを語っていくことには理由がある。それはテクノロジーを生命科学的な文脈からアプローチすることによって、通底する普遍的な法則を見出したり、さらにはテクノロジーの本質に迫って行くことが可能になるのだ。

かつてリチャード・ドーキンスは人間の眼について、こう語った。「少なくともわれわれが地球上で知っている生命は、まるでしゃにむに眼を進化させたがっているように見える。」

テクノロジーは自律的に進化する

このまるで進化が引き寄せられるかのような物言いは、ピンとこない人も多いかもしれない。だが、生命で同じ現象が繰り返し現れるということは、地球が証明してくれる。鳥とコウモリと翼竜は、3つの系統の最後の共通の祖先には翼がなかったのだが、独立して翼を進化させた。両眼視は離れた分類で何度も進化した。植物界でも互いに離れた7種が、昆虫を食べて窒素を摂取する食虫性を進化させた。

そして世界の個々のテクノロジーもまた、突然変異がアウトソースされたかのように、似通った順番で進行してきた。つまり、類似した力が収束されると、類似した結果が創発する。進化とは非常に再現しやすい傾向を持つ。

そして生命にしろ、テクニウムにせよ、進化を必然的に再発へと向かわせたものは、以下の二つの力であることを、本書は多数の事例をもって説明する。

・幾何学と物理学の法則に規定される負の制約。これは生命やテクノロジーの及ぶ範囲の可能性を制限する。

・自己組織化する複雑性が生み出す正の制約。これは繰り返し新しい可能性を生み出す。

特に興味深いのは2つ目の方である。自己生成的な偏りがまるで生物のような自律性を持ち、さらにはテクノロジーのシステムにおける自然発生的な自律性が一連の「要求」を生み出すことを認めれば認めるほど、そこには「脅威」も見えてくる。はたして人間は、テクノロジーによって利用される「乗り物」に過ぎないのだろうか?

次ページ答えは適応という概念の中にある
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