日本人は「黒人」の定義をおそらく誤解している 安易にレッテル貼ることの影響を考えているか

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「黒人の定義は何?」と聞かれた時、あなたはなんと答えますか?(写真:Christian Monterrosa/Bloomberg)

英語教師として働いていた2007年のある日、私は恐怖を理由に率直に思ったことを伝えられない自分にうんざりしていた。そして、その日初めて平和を乱さないように、自らを同調させようと不安だった自分を奮い立たせ、自分の考えを話すことにした。

就労ビザを持つアメリカ人として解雇されることは、祖国に返してほしい、という要望に等しい。警官がテーザー銃の練習のため、肌の色で人々を扱う国に。私にとってその恐怖は「現実」のものだった。

「イエローマン」と呼ばれたことはあるか

その日私は、勤めていた英語学校の主任教師に声をかけ、彼はこれまでに何度「黄人」や「イエローマン」と呼ばれたことがあるか尋ねだ。彼が答えることはなかった。そこで私は彼に、この質問は私がこれまでに何度「黒人」や「外人」と呼ばれたのか、というのと同じだ、と彼に伝えた。

返事はない。彼の平穏が、間違いなく乱されている。が、私は立て続けに「黒人と呼ぶ以外、なかなか私をイメージできないのではないか」と聞いた。そして、着ているセーターを手で引っ張った。セーターの色は真っ黒だ。私の大好きな色である。私は彼が見てわかるように、私はブラックではなく、ブラウンだと伝えた。

日本ではどこへ行っても白い肌がきれいだともてはやされる(そして、これは白くなければきれいではないということでもある)ことに対して、意地悪にほのめかすのはやめた。だが、こうした環境で黒人であると見なされるのは、善良さの正反対、無意識の偏見における直感的な標的、そして敵意を生むことに等しいのだ。

「では、あなたをなんと呼べばいいのかな?」彼がこう尋ねたことや、私が「しばらくは名前で呼んでほしい」と伝えたことは覚えている。黒人、あるいは、外人という言葉が否定的な意味合いや、不公平な重荷を帯びなくなるまで、そうしたものは背負いたくない、とまでは言わなかった。

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