日本人は「黒人」の定義をおそらく誤解している 安易にレッテル貼ることの影響を考えているか

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すると彼はこう聞いてきた。「外人と呼ぶのはどこが問題なの?」
私は怪訝な目で彼を見返した。
「外国人と呼ぶこと?ほとんど同じことですよ」
「本当ですか?」私は尋ねた。
「では、どちらの言い方も使わないでもらえますか」と私は怒って言った。「ただ名前で呼ぶか、ミスターをつけるか。面倒でなければ、語尾に『さん』もしくは、『先生』をつけてください」

すると、彼は突然頭を下げ、自分自身やこの学校の教師、スタッフ全員を代表して謝罪し始めた。一方で私は、ここまで過度に謝らせる義務を彼に感じさせたことに対して、嫌な気持ちになった。私はいつも、本当の気持ちを隠そうと努力しているが、感情を抑え続けるのが嫌なときや、目にしたものや口調を、見逃せない時がある。

その日から学期末まで、外人や黒人という言葉は聞こえてこなかった。その主任教師や、学校内の誰もが敬意を持って私に接するようになった。少しずつ、これまでよりも教師陣の一員になったように感じ、ほかの惑星から日本へ訪れた部外者であると感じることが少なくなり、この学校や学生、職員が好きになっていった。

学期末に突然、「転勤」を告げられた

ところが、学期の終わりに最悪の事態が起こった!次学期からここへ来なくていい、と告げられてしまったのだ。どうやら、どこかの誰かが、別の誰かの行いに不満を持っていたようだ。何もかもが曖昧で、誰の責任にもできない。もちろん私のせいにも、教師のせいにも、文化のせいにもできなかった。

思い返して問題があったとすれば、人種的なレッテルを貼るのをやめてほしい、と言ったあの日のことだ。私は退学を命じられたわけではないが、別の学校へ「転勤」することになった。そして新しい学校の行ったその日から、想像通りいつものレッテル貼りが始まってしまった。

やはり私はブラックの男性で、コクジンで、ガイジンで、そのほかにも私のような人物に感じるらしいステレオタイプを当てはめられた。

私は権力を振りかざしてくる彼らを前に屈服するよりほかなかった。彼らによってあのアメリカと呼ばれる警察国家に送り返されることはなくても、毎年、行く手の定まらないサッカーボールのように学校から学校にたらい回しにされてしまうのだ。

長い間、私は自分の気持ちを恐れていた。皮肉なことに、今や自分の考えを話すことが私の仕事になっている。

17年間日本に暮らしてきて、ためらうことなく私を「黒人」と呼ぶ多くの日本人の知り合いや同僚に、どういうつもりでその言葉を使うのかと尋ねてきました。「アフリカから来た肌の黒い、あるいは肌の色の濃い人を指しているのだ」とか、「先祖がアフリカ出身という意味だ」などと言われた。

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