日本人は「黒人」の定義をおそらく誤解している 安易にレッテル貼ることの影響を考えているか

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もっとも、そういう答えが返ってくるのも実はまれで、大半の人は人種について疑問を投げかけられると困惑し、パニックになって、逃げたり、話題を変えたりする。人種的なレッテルの複雑さについて初めて思い至り、黙り込む人もいる。

でも、実はそれはいい反応だ。黒人といった人種的レッテルを貼る人は、まずこうした問いに答えるか、実際に口に出す前に再考すべきである。なぜなら、レッテルを貼ることと、レッテルの概念を理解することは別だからだ。

日本でも定義を見直す時が来ている

黒人の定義とは何か。大半の人は、誰かから聞いたり、人を言い表す言葉として適切だと教えられたりして、この言葉を使っているようだ。ただそれだけのこと。特に深い考えはない。そして、これは20年前、いや10年前でも問題にはならなかったかもしれない。

しかし、やっと日本でも「ブラック・ライブズ・マター」叫ばれるようになった今、日本で「ブラック」「黒人」が何を意味するのか、その定義を見直す時だと私は思っている。

新たな定義は、アメリカからの輸入品でも、白人至上主義に侵されたものでもなく、ましてや日本の限られた情報から誤って生まれた産物とはほど遠いものであってほしいと思う。その過程を経て、日本人は黒人の命が決してないがしろにされてはいけない理由をもっと理解できるはずだ。

私が見た限り、現在の日本における「ブラック」や「黒人」の定義は、人種差別主義者のアメリカ人が言う「ニガー」の定義の変種だ。つまり、濃い色の肌、チリチリの髪、体格がいい、攻撃的、ラップやアスレチックなダンスがうまい、秀でたコメディセンスや音楽のDNAを備えた魅力的な生物である一方、多くが欠陥だらけの貧しいコミュニティの産物で、犯罪、愚鈍、暴力、麻薬の使用、怠惰、病気の運び屋、その他予測できない反社会的行動や、危険な嗜好品に陥りがち、といったものだ。

そして、少しでも黒人の血が流れている人はごく基本的な事柄以外は、これまでも今後も、日本人を語り、代表し、理解することはできないと思われている。この話をごまかすのはやめよう。黒人は日本では敬意を払われていない。そして、上の定義に当てはまらない人は、例外、あるいは「珍しい」と見なされる。

私は、黒人にという言葉について回るこうした認識が一夜にして変わるとは思っていない。人種問題と絡められた愚かさや、疑似科学が世の中にはあまりにも多くあって、それらによって黒人であることについての認識が歪められている。

次ページ日本人には「理解をしない」権利もあるが…
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