サンデル教授が語る「大卒による無意識の差別」 「努力すれば成功できる」という発想の問題点

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――読んだ後、リベラルを標榜する知人何人かにこの話をしましたが、彼らはリベラルが意図せず労働者を見下している可能性がある、という事実を受け入れようとしませんでした。まさか自分が「差別している側」とは受け入れがたいのでしょうか。

教育水準の高い、成功している人たちは能力主義のメリットを享受しているので、能力主義を否定することは難しいのです。実際、能力主義は非常に魅力的な原理です。競争環境が平等でありさえすれば、頑張って勉強して能力を発揮し、いい大学に行って成功するということは、「自分のおかげ」であり、自分はその成功に付随する報酬に「値する」という概念は成功者には心地いい。

Michael Sandel/1953年生まれ。ハーバード大学教授。専門は政治哲学。ブランダイス大学を卒業後、オックスフォード大学にて博士号を取得。2000年から2005年にかけて大統領生命倫理評議会委員。1980年代のリベラル=コミュニタリアン論争で脚光を浴びて以来、コミュニタリアリズム(共同体主義)の代表論者として知られる。ハーバード大学の学部科目"Justice(正義)"は延べ1万4000人を超す履修者数を記録。日本ではNHK教育テレビ(現Eテレ)で『ハーバード白熱教室』(全12回)として放送されている。(写真:ロイター/アフロ)

同時にこれは、社会における資本の分配においても「公平」なように見えます。誰もが平等にレースに参加する資格があり、同じスタート地点に立ち、同じ訓練を受け、同じランニングシューズで走ったとしたら、レースに勝った人がもっとも多い報酬を得る、ということなのですから。

成功した人が報酬を得る、という在り方は、平等な社会、公平な経済を体現しているように思えるので、リベラル側はこの概念に対する否定的な意見を受け入れられないのでしょう。

レースは本当に「平等」なのか

しかし、私はこういう疑問を呈します。レース自体は平等にように見えますが、中には生まれつき運動神経がいい人や、人より足が速い人がいます。はたしてそれが自分の努力のみによるものなのか、と。同じスタート地点に立って、同じ努力をしたとしても成功できない人もいる。つまり、成功とはその人の努力だけではなく、才能や生まれ持ったもののおかげでもあるのです。

となると、能力主義の問題は何なのか。それは、成功者における謙虚さの欠如、つまり、人生における幸運や、親や教師、コミュニティ、国といった成功を可能にしてくれた人やものがあるということに対する理解の欠如です。

大学に行かなかった、あるいは、学位をもっていない人は、社会における「いい仕事」、そしてそれに伴う高額な報酬も大卒者に取られてしまう。もし、社会で成功している大卒者が自分の今の成功はすべて自分の努力によるものだと考え、謙虚さをなくしていたとしたら、知らないうちに自分より成功していない人を見下している可能性があるのです。

――能力主義を強調しすぎることの怖さは、自分も影響を受ける対象になることだと感じました。グローバル化やデジタル化に乗り遅れてふるい落とされないためには、つねに労働市場の需要に合わせて自分をアップデートしたり、スキルアップをしなければならず、これはしんどいです。

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