政策決定を官僚がした証拠は、これまで何もない--『政官スクラム型リーダーシップの崩壊』を書いた村松岐夫氏(京都大学名誉教授)に聞く

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--大蔵省は省庁再編のときにも名称変更に抵抗しました。

金融監督庁の創設に抵抗し、天下りのルート確保をしようとした。世間の風も大蔵省に冷たくなる。96年に省庁再編、98年の金融2法ではもはや財務省に相談せず、自民党は通す。それまでは所管の官庁に関連法案で提携関係をつくって国会対策をする。それをしない。そこで政官スクラムの崩れは決定的になった。

ここまでの10年、象徴的に言えばグローバリゼーション、非自民政権の成立、そして経済不況つまり財政リソースの減少が複合して崩壊を促したと言っていい。自民党の官僚を利用した支配は、90年代の半ばから情報公開法とか、世界のルールに合わせて日本の政策ルールを変えることでも促された。それは地方のほうが敏感で、政策評価はまず三重県が取り入れて、中央の政策になっていく。

--いまでは「分担管理」も昔の話ですか。

財務省には分担管理という省庁の仕事の割り振りを調整する役割があった。官庁は互いに権力を争う。それを縄張り争いと世間では言っていたが、最後は旧大蔵省が調整するというルールが戦前から出来上がっていた。内閣法3条の「行政事務は分担管理する」から意味が転じたものだ。もともとは、大蔵省に常々恩を売っている議員がいて、問題が起これば内々にすませてもらう。このルールも90年代末にはおかしくなっていた。

--変革というのはあってもいいはずですが。

このほかにも、たとえばロースクール。法律家が多くなることは安心して託せる政治家をふやすことにつながり、政治家の平均的な質が高まって、この面ではいい。

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