そうした経験から、われわれは「軽症者、無症状者を医療機関に入れてはならない」という知見を得ていきます。今では当たり前の、「軽症・無症状者は自宅・ホテルで療養」の方針です。これを徹底しないと、重症患者をきちんと診られないし、ひいてはコロナ以外の一般医療もできなくなって医療崩壊につながっていきます。
重症患者は近場に、そして軽症・無症状者は遠方へ。そうして最終的には2月末までに、宮城県から大阪府まで16都府県150の病院へ769人の患者を搬送しました。
近藤:全国の医療機関に分散搬送したことって、あとから考えればよかったですよね。
阿南:そう、あの時点で、みんな他人ごとではなくなったから。
近藤:私はそれを「病院のワクチン」と呼んでいるんです。医療者の多くは、1度でもコロナを経験したら怖くなくなるから。逆に、2度、3度と受けざるをえなくなるから、「中毒性のワクチンだな!」なんて言う先輩医師もいます(笑)。
東日本大震災での経験が生きた
――これまで2人の話を聞いていると、困難なときも逃げないというか、誰もやらないならオレがやる、みたいな姿勢を感じるのですが。それはDMATだからなんですか。
阿南:2人とも創設にかかわったし、東日本大震災の支援にも行ったしね。
近藤:DP号への派遣の話を聞いて、まず「福島原発事故のときと同じことが起きるだろうな」と思った。
福島では原発近くにあった病院、施設の人たちに早期に介入ができず取り残され、40人以上の命を救えなかった。自分ではそう思っている。被ばく医療は文部科学省の管轄だから、厚労省DMATはかかわるな、みたいなことも言われたし。
放射線とウイルス。どちらも見えないから恐怖を感じる。そうして患者と医療者が「隔離」されて、ひどい差別や偏見にさらされる。その中で死者が出るかもしれない。それは絶対、あってはならない。救うことのできる命は必ず救う。そのことだけを考えて行動していました。
(4月20日配信予定の第2回に続く)
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