――神奈川県庁はどんな雰囲気でしたか。
阿南:チャーター機での帰国は完全に国のオペレーション。一方、クルーズ船の感染患者を指定された医療機関に搬送するのは、検疫法や感染症法では地元自治体の仕事なんです。神奈川県庁の人たちはチャーター機のイメージがあるから、「なんで国がやらないんだ」とブツブツ言っていましたが上陸したら、いきなり自治体の仕事になる。その説明をするのが、(藤沢市民病院副院長で、神奈川県DMATの調整本部長を兼ねていた)私の最初の仕事でした。
でも、いずれにしろ、大災害の現場で経験を積んでいるわれわれが出ない、という選択肢は初めからありませんでした。出るしかない、と。
現場のチームから「船内が立ち往生している」
近藤:当初、DMATは船外で救護所をつくっておいて、患者が運ばれてきたら、トリアージして患者を運んでいく。そんなイメージで臨んでいました。ところが、現場のチームからは「船内がスタック(立ち往生)している!」と連絡が入った。中が大混乱していることがわかり、DMATが船内を仕切ったほうがいいという判断になった。
阿南:そこで、「臨時検疫官」をね……。
近藤:そうそう。支援のために、うちや日本赤十字の医師が入るというのに、法律では検疫官でないと検疫の現場に入れないことがわかった。
「そんなバカな!」って言っていたところで、厚生労働省から現場に来ていた堀岡(伸彦・保健医療技術調整官=当時)さんが機転をきかせ、自分のスマホで医師の写真をとって本省に送信して「臨時検疫官」に仕立てるなんていう、前代未聞のことをやってくれました。
――超法規的な措置ですね。
阿南:臨機応変っていうか、現場って、そういうことばかり。とくに誰も経験したことのない事態が起きている現場では、いいと思ったことを現場で判断してやっていくしかない。
近藤:DP号の初期の段階は、スタックは患者搬送より、船内のマネージメントにあるとわかった。すぐに私も乗り込むことになるのだけど、主な問題は2つあった。
1つは60歳以上が8割の乗客で「具合が悪い」と訴えている人の診療ができていないこと。もう1つは、薬が足りないこと。船内で約2週間の自室待機(隔離)をお願いしたのだけど、それぞれが持参している持病の薬がなくなっていくのをどうするか。約2000件の薬の要望書のうち、1500件は「命にかかわるもの」と判断されていました。
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