アベプラ制作者と考える「メディアの在り方」 取材や報道内容で分断を生む可能性もある

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話を聞いたところ、その方は過去に数回テレビの取材を受けたことがあるそうなのですが、自分たちの考え方とは異なる形で編集されて放映されてしまったそうで。「歪曲された伝え方をされるくらいなら、最初からテレビなんて出ないほうがいい」とおっしゃっていました。

でもテレビ局からしてみれば「取材したものを編集する権利はこちら側にあるんだから」という感じですよね。もちろんそれも一理あるんだけれど、その人が「自分たちのことをおもしろおかしく伝えられてしまった」と感じたことも事実なわけで。

現場で取材する側とされる側が対話をすることもなく、取材をした側が一方的に「編集権はこちらにある」というスタンスから始まってしまうのが「メディアの形」ならば、そうではない別の形が必要なんじゃないかなと思ったんです。

郭晃彰氏(写真:リディラバジャーナル提供)

:僕たちの場合、取材をしたら「内容をきちんと理解した」「相手が言っていることの意図はわかった」という認識なんです。

そこからは自分たちの判断で映像をつないだり、記事を書いたり、事実確認をしたりしていくんですね。少し体質が古いのかもしれませんが、むしろ「きちんと編集ができるのが良いディレクターである」という刷り込みはあると思います。

対話の窓口を閉じてはいけない

安部:おっしゃる通り、取材をする側が強い専門性を持っていることや、相手が言っていることを正しく理解できていることは、メディアとして最低限保つべきラインですよね。

ただ、一番やってはいけないのは「対話の窓口を閉じてしまうこと」だと思っていて。取材する側・される側にそれぞれの真実があったときに、対話ができていないと分断が生まれ、主張がより過激化していってしまうと思うんです。

僕は、取材相手である社会問題の当事者や関係団体の方々に「いい顔」をしたいとは思っていなくて。社会問題の現場にある課題と、社会の構造や仕組みから見えてくる課題は一致しないケースもあるので、もし相手の言っていることに偏りを感じるときがあれば指摘もします。

差別的な思想や発言などが強い方に取材するときも、もちろん一定のリスペクトはしつつも、相手が間違ったことを言っていたら「それは違いますよね」と反論することもあります。相手の発言自体は変えられないから、こちらの意見でそれを正していくしかない。

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