現代の狩猟採集民?都会でもできる「採取生活」 春本番!「食べられる野草」が教えてくれること

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初めて現物を見たのは会社員時代で、出張先の沖縄で公設市場を見学に行ったら普通に八百屋に売っていた。おおヨモギって野菜だったのか、これは珍しいと喜んで買って帰った。でも飛行機で持ち帰る間に見事にシナシナになった。仕方がないので沖縄風に雑炊に入れて食べたが、可もなく不可もなく、ふうんというようなお味であった。

で、それからしばらくたったある日、会社帰りに自宅へと向かう坂道を登っていて、ふと道路脇の街路樹の下を見たら……いや、これは、どう見てもあのヨモギなんじゃ……? 恐る恐る先端をちぎって香りを嗅いでみると、いやまさにヨモギ以外の何物でもない! しかも今採取したばかりだからフレッシュそのものである。

私たちは無料のゴチソウに囲まれている

ということで、ドキドキしながら先端の柔らかそうなところをちぎって持ち帰り、天ぷらにして食べた。

いやー……なにこれ? 超おいしいんですけど? ほんのりした苦味と鼻腔を満たす爽やかな香り! こんなん食べたことないよ! 

ヨモギ天丼。付け合わせのユズも、近所の木から落ちてきたのを拾った(写真:筆者提供)

ということで、それ以来しょっちゅうヨモギを摘み帰っては、翌日の弁当にヨモギ天丼を持参してホクホク食べ続けた。野草というものは一度目につくと、自分の目が「野草スコープ」になってしまい、そこらじゅうのヨモギがこれでもかと目に飛び込んでくる。そうなってみると、ヨモギとはもうそこらじゅうに嫌というほど元気に生えまくっているのだった。

つまりは私はこれまでもずっと、このような無料のゴチソウに囲まれて生きていたのに、そのことにまったく気づかぬまま半世紀近く生きてきたのだ。

そう気づいたとき、私の価値観は大きく揺さぶられた。それまでずっと、世の中とは、金であれモノであれ「あるかないか」だと思っていたが、実は「気づくか気づかないか」だったのだ。気づいたものの前には無限の宝が広がっている。しかし気づかぬものの前に広がるのは無限の荒野なのである。

稲垣 えみ子 フリーランサー

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いながき えみこ / Emiko Inagaki

1965年生まれ。一橋大を卒業後、朝日新聞社に入社し、大阪社会部、週刊朝日編集部などを経て論説委員、編集委員をつとめる。東日本大震災を機に始めた超節電生活などを綴ったアフロヘアーの写真入りコラムが注目を集め、「報道ステーション」「情熱大陸」などのテレビ番組に出演するが、2016年に50歳で退社。以後は築50年のワンルームマンションで、夫なし・冷蔵庫なし・定職なしの「楽しく閉じていく人生」を追求中。著書に『魂の退社』『人生はどこでもドア』(以上、東洋経済新報社)「もうレシピ本はいらない」(マガジンハウス)など。

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