「福岡5歳餓死事件」に見るカルト的手口の異様 オウム真理教の内側と重なって見える
福岡のケースも子どもが死んではじめて異常に気がつく。司直の手によって閉鎖的な環境から解き放たれて、後悔と自責の念に襲われる母親。
ただ、これを洗脳だとか「マインドコントロール」と論評する報道も少なくないが、一連のオウム裁判では弁護側がマインドコントロール理論を主張したものの、ことごとく否定されている。そうして190人が有罪となり、うち13人の死刑が執行された。
不安な時代は判断を狂わす
小さな命と多くの命を奪った2つの事件に教訓があるとすれば、結果的には抜け出せない呪縛に陥っていたとしても、その入口はこの世界のどこにでもあるということだ。オウム真理教の誕生にあった、当時の時代的背景。カネとモノにあふれたバブル経済にわいていた特異な時代。その当時はなかった「ママ友」という世界。そこから放逐される恐怖。
今はコロナ禍にある。この状況がいつまで続くのか、不安は募る。経済的に追い込まれている人たちも少なくない。自粛生活による孤独。そうしたところで、ふっとしたことがきっかけで詐欺にひっかかったり、甘い言葉を信じたくなったりすることがあるかもしれない。
普通なら心が奪われることはなくても、環境が人の心を左右する。判断を狂わせる。そしてカルト的なものにはまる。取り返しのつかない事態に落ちる。誰もがそうなってもおかしくはない、いや、むしろなりやすいと自覚したほうがいいかもしれない。そういう未知の時代を生きている。
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