古川さんの高校の部活動には「愛好会→同好会→部」という序列があった。つまり最も格下の部活動だった。
「今は大体の進学校にはクイズ研究部はありますが、当時は宮城県内では仙台一高しかありませんでした。
クイズ愛好会ができて10年目でしたが、とくに目立った結果も出さず、プレハブ小屋にクイズ好きが集まっているだけという状態でした」
入部体験に顔を出すと、先輩たちは古川さんが幼少時代に父親に買ってもらったウルトラクイズの早押し機と同じものを使っていた。1年生だけで早押しクイズをさせてもらったら、過去問題集と同じクイズが出てきて、目立った活躍ができた。
「すごいね!! がんばれば『アタック25』の高校生大会で優勝できるよ!!」
と先輩たちにおだてられ、気持ちがよくなって入部を決意した。もちろん先輩たちも、古川さんが優勝するとは思っていなかっただろう。
だが、古川さんは1年後、本当に『アタック25』の高校生大会で優勝することになる。
『パネルクイズ アタック25』はまず宮城県大会が開かれないと出場できない。運がいいことに、古川さんが高校2年生のときに宮城県大会が開かれた。
「面接でマジックを披露したらものすごくウケました。それでそのまま全国大会に出場させてもらいました。本番のあいさつでも指からハンカチを出すマジックを披露しました」
一芸に助けられて出場することができた。
『パネルクイズ アタック25』の最大の特徴は、5×5マスのパネルをオセロの要領で取り合うルールだ。
「僕はオセロがすごく好きだったんですね。だから正解数よりも、むしろオセロの腕で優勝することができました。
だから、そのとき僕が日本でいちばんクイズが強い高校生だったか? というとそんなことはなかったと思います。そのような形で優勝してしまって
『これはめちゃくちゃ頑張って日本一になるしかない!!』
と思った高校2年の夏でした」
後輩と一緒に「タイムショック21」でも優勝
学校の勉強はそっちのけで、徹底的にクイズの勉強に取り組んだ。
歴代のクイズ王が書いた、クイズの書籍を買って覚えた。類似問題を作って、仲間同士で出し合った。
授業中でも、クイズにできそうな話が出たら『クイズノート』を取り出して書き込んだ。そんな折、1学年下にとても優秀な部員、酒井英太さんが入ってきた。
彼とコンビを組んで『タイムショック21』に出場し、見事に優勝した。
「有名な進学校を倒して優勝しましたから、先輩たちもすごく喜んでいました。
全校集会のときに『クイズ愛好会』を『クイズ同好会』にしてくださいと提案すると、すんなりと同好会に格上げすることができました」
それで満足するべきかもしれないが、次に日本一になるのはいつのことかわからない。部の立場を上げるのは今しかないと思った。
「続けて『クイズ同好会』を『クイズ研究部』にしてくださいと提案しました。先生たちは『それはダメだぞ』って言いかけてましたが、生徒主体の学校だったので、ノリで押し切る形で部に格上げすることができました」
まだインターネットが盛んではない時代だったから、テレビでの活躍の反響は大きかった。多くの人に声をかけられた。
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