震災10年、鉄道は復旧も交通網「再構築」の難題 被災鉄路の復旧プロセスと相互連携の重要性

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浪江駅付近を走る特急「ひたち」。常磐線は2020年3月14日に全線で運転再開した(筆者撮影)
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2011年3月11日に発生した東日本大震災から、ちょうど10年が経過した。この震災は、津波と、東京電力福島第一原子力発電所事故によって公共交通機関にも大きな影響を与え、長期運休となった鉄道路線は福島、宮城、岩手の3県を中心に、東北地方の太平洋岸一帯各地に及んだ。自然災害により広範囲の鉄道が一度に不通になった例は空前。ただ、絶後とは言い切れないのが、巨大地震の恐ろしいところである。

被災した鉄道は、2020年3月14日のJR常磐線富岡―浪江間を最後に、すべて公共交通機関として運転を再開。被災を機に廃止された路線はない。ただ「鉄道ではなくなった」ところや、運行主体を変更しての運転再開。被災した町とともに大規模な線路移設を行ったところなど、復旧の形はさまざまになった。いくつかのパターンに分けて概観しこの10年間をふりかえるとともに、10年間の取材を通じて感じた課題をまとめてみる。

さまざまな形態で運転を再開

まず、原状復旧を行った区間はJR常磐線いわき―原ノ町間や、三陸鉄道の旧南リアス線(盛―釜石間)、同じく旧北リアス線(宮古―久慈間)などがある。もちろん、防潮堤など津波・地震対策、あるいは施設改良と並行して復旧工事が行われたわけだが、運行再開後も経営主体は変わらず、一見、震災前と何も変わりがないように思える。阪神・淡路大震災など、過去の自然災害からの復旧は、このパターンが主であった。

三陸鉄道リアス線の開通記念ヘッドマーク(筆者撮影)

旧JR山田線の宮古―釜石間は、やはり原状復旧が行われたが、線路や駅などの施設は地元自治体に無償譲渡。運行は三陸鉄道が担うようになった。運転再開は2019年3月23日。かねて経営状態が悪かった路線であるのでJRの手から離し、被災を機に上下分離、地元の責任による運営へと移管したのである。この措置によって、三陸鉄道は盛―久慈間をリアス線と改称し一体的に運行するようになった。なお、三陸鉄道は岩手県をはじめ地元市町村が主要株主であり、公営に近い会社でもある。

復興の一貫として、海岸線を離れたエリアへ鉄道ごと町を移したケースもある。JR常磐線の新地―浜吉田間と、JR仙石線の陸前大塚―陸前小野間が該当する。JR石巻線はほぼ原状で復旧したが、終点の女川駅は町の移転、かさ上げに合わせて駅も移転した。

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