苦難を越え「福島の被災少年」が掴んだ驚きの夢 幼い心に刻まれた記憶、そして目指したもの

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そんな特異な環境で9歳から10代のほとんどを過ごした小椋康平というひとりの青年。彼には、ひとつの夢があった。歌手になることだ。

きっかけは3歳のときだった。母親が『NHKのど自慢』に出て演歌を唄った。その姿に強烈な感動を覚えて、ボクもやる!歌手になる!と決めた。そこから地元のカラオケ教室に母親が通わせてくれた。震災の当時も、1カ月だけ休んですぐに再開した教室に通い続けた。

そして、震災から4カ月後の2011年7月、9歳で出場したカラオケの全国大会で初優勝を果たす。氷川きよしが東京で主催したもので、6000人以上が応募、年齢制限もなかった。

その後も郡山で教室に通い続け、全国大会や東北地方の大会に出場しては、優勝を続けた。レコード会社の人間の目にもとまるようになるが、高校時代に優勝した大会で「君、歌手になるのはやめたら」と言われたこともあった。太っていて見た目が悪い、というのが理由だったそうだ。

だが、それでも諦めなかった。体調管理にも気をつかい、努力を重ねた。そして、ある作詞家の勧めもあり、昨春の高校卒業と同時に、母親が育ててくれた郡山の家を離れ、本格的に歌手を目指して上京することにした。

嫌な思い出の残るマスクをしての生活

ところが、そこにまた支障が……。

「4月に上京するつもりが、緊急事態宣言が出て、できなくなってしまいました」

夢だった歌手デビューにたどりついた(写真:本人提供)

それでも諦めずに、2カ月遅れの6月に上京する。くしくも、子どもの頃の嫌な思い出の残るマスクをしての上京と新生活だった。

そして、震災から10年の節目のこの3月に「コウヘイ」の名前で歌手としてデビューする。

『地球は泣いている』。それがデビュー曲だ。温暖化をはじめ、地球上の環境問題を問いかける唄だ。YouTubeでの無料配信デビューだ。

いまも帰宅困難区域という人の住めない場所を残す福島第一原子力発電所の事故からも10年。避けることのできなかったその影響を受けて育った青年が夢を追い続け、人類の未来さえ左右する環境問題に歌手として声を上げる。これも10年を刻む、ひとつの物語なのかもしれない。

(文中敬称略)

青沼 陽一郎 作家・ジャーナリスト

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あおぬま よういちろう / Yoichiro Aonuma

1968年長野県生まれ。早稲田大学卒業。テレビ報道、番組制作の現場にかかわったのち、独立。犯罪事件、社会事象などをテーマにルポルタージュ作品を発表。著書に、『オウム裁判傍笑記』『池袋通り魔との往復書簡』『中国食品工場の秘密』『帰還せず――残留日本兵六〇年目の証言』(いずれも小学館文庫)、『食料植民地ニッポン』(小学館)、『フクシマ カタストロフ――原発汚染と除染の真実』(文藝春秋)などがある。

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