苦難を越え「福島の被災少年」が掴んだ驚きの夢 幼い心に刻まれた記憶、そして目指したもの

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さらに強烈な印象に残るのは、ある日突然、被災した自宅に放射線量を計りに大人たちがやってきたことだった。「うちはどのくらいあるのかな」とたちまち不安になったことを覚えている。室内はどこも基準値内だったが、安息の場所も放射線に脅かされていることを知った。

やがてはじまる甲状腺検査。小学4年生の秋から中学校に進んでも、定期的に行われる。それも、学校の多目的ホールに生徒が並んで、名前を呼ばれたらいくつか用意された衝立のひとつの中に入る。そこで簡易ベッドの上に寝かされ、首にゼリーを塗られ、検査器を当ててエコー画像で甲状腺の異常を探す。それもひとり3分くらい。

「もしかしたら異常があるのかな、と不安でした」という気持ちに、次第に「なんでそんなに何回もやらないといけないのかなあ」という思いが交錯するようになっていく。定期的にやってくる身体の異常を見つけてもらうために順番を待つ時間が、大きなストレスになっていたはずだ。

子に甲状腺がんが見つかった父親の苦悩

幸い、彼の甲状腺に異常は見つからずにきた。彼の友人にも異常はなかった。ただ、私はこの10年の間の取材で、息子の甲状腺にがんが見つかり、摘出手術を受けたという父親に話を聞いたことがある。それも、同じ郡山でのことだった。

「ああ~、がんですね」「結論からいうと、がんです」そうぶっきらぼうに医師から告知された瞬間のことを父親は忘れなかった。「えー」と思わず息を吐く父親の脇で、息子の顔色がみるみる真っ青になっていった。そのまま椅子に座っていることもできなくなって、診察室のベッドに倒れ込んだという。

その直後に、息子と一度だけ口論になったことがあった。そのときに息子がこう叫んだ。

「どうせ俺はがんで死ぬんだから!」

たちまち、父親としてはいたたまれない気分になった。

告知から4カ月後に手術を受け、転移のあったリンパ節も一部切除している。その後も、転移や再発がないか、半年に1度の検査が必要だった。その検査が近づくたびに、本人も家族も不安になるという。当時、父親は私にこうこぼしていた。

「これが一生続くのかな。就職はできるのか、結婚はできるのか、私にとっての孫が生まれたとしても、そこに悪影響はないのか、心配ばかりしています」

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