「ポテチのふりかけ」震災時を支えたご飯の記憶 今こそ思い出したい、食事が持つ「回復への力」

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ポテトチップスをふりかけにすることだって「立派な料理」です(イラスト:岡本将徳、画像提供:NHK)
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東日本大震災からまもなく10年が経ちます。これだけの月日が経つ中で薄れていく記憶もあります。

そのひとつが、震災時の「食」です。大災害が起きたときのために、あなたはどれくらい水や食べ物を準備していますか?

「……やらなきゃとは思っているんだけどね」

「うちの隣は小学校。そこに行けばどうにかなるかな」

「一応、水だけはペットボトルを1箱、用意しているよ」

つい先日も最大震度6強の地震がありました。以前より非常食などを気にするようになった人もいるとは思います。しかし、あの震災を振り返ったとき、実際に体験した人以外は「あの頃の被災地の食生活がどんな状況に陥っていたのか」を忘れかけているのではないでしょうか。

震災時に食べられていたものは…

10年前、筆者はテレビディレクターとして震災後3日目から宮城県に入りました。とくに力を入れて取材したのは仙台市のとなり、多賀城市にある大型の公共施設。

下の表は、そこに集まった何百人もの避難者に配られた食料を記したものです。ここからは、当時の食料事情の一端を知ることができます。

(データ:NHKあさイチ調べ)

この避難所は高台にあり、建物に大きな被害もなかったため、震災当日から被災者の受け入れが可能でした。

当日の夜は、まず菓子パンが配られています。その次の日は、晩に食パンとコーヒー牛乳。そこからしばらくは1日1~2回の配布が続き、1週間経った頃に、どうにか1日3回の食事かとれるようになりました。しかし、この頃には避難者の栄養状況は悪化し、口内炎や便秘などが増え、体力も落ちて感染症が広がる可能性も出始めていました。

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