株式会社のルーツ知らない人が驚く意外な事実 慣習に縛られないオランダが発祥となったワケ

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東インド会社は、アフリカ最南端の喜望峰からアメリカ大陸の西海岸に至る広大な地域で要塞を築き、軍事力を行使するなど、オランダ政府の事業を代行していました。さらに、東インド会社アムステルダム本社の初代株主として登録した人の数は1143人にものぼったので、巨大な資本金を苦もなく集めることができたのです。インドネシアのモルッカ諸島を占領して要塞を築き、これを守る傭兵を雇うには莫大な資金が必要でしたが、この問題もうまく解決に導きました。

さらに、この巨大組織は勝手な行動をする危険もありませんでした。というのも、所有権と経営権が分離され、重要な意思決定は選ばれた理事が行っていたうえ、投資家たちは理事の決定を受け入れるか、株式を売るか、2つに1つしか選択できなかったからです。また、株式会社は法的に独立した存在だったため、所有者個人とは分離されており、寿命という制約がありませんでした。

21年で清算する予定だったのに数百年も続いた

この寿命という点についてもう少し注目してみると、東インド会社を設立したオランダ政府も、この会社が長期に存続するとは考えていませんでした。最初につくられた東インド会社の定款によると、21年後に清算される予定だったのだです。当時の基準では、21年というのはほぼ永遠に近い時間でした。

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さらに東インド会社の設立者たちは、このために投資を渋る人がいるだろうと考えました。そこで「中間清算」の条項を作成。これは、設立から10年に当たる1612年に会計帳簿を総整理し、会社の運営状況を株主たちに公開したあと、希望者には投資した資金を回収させるというものでした。

しかし、これは取り越し苦労に終わりました。東インド会社は数百年にもわたって維持され、アムステルダムに世界初の株式市場がつくられるほど多くの投資家が東インド会社の株式を売買するようになったからです。東インド会社は何度か危機に瀕したものの、配当金を支払いながら、株価が長期的に上昇するに伴い、多くの株主を金持ちにしたのでした。

ホン・チュヌク 経済学者

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Hon Chunuku

延世大学校史学科卒業後、高麗大学大学院で経済学修士号、明智大学校で経営学博士号を取得。1993年、韓国金融研究院に入職した後、国民年金基金運用本部投資運用チーム長、KB国民銀行チーフエコノミスト、キウム証券投資戦略チーム長(理事)などを歴任。2016年には、朝鮮日報とエフアンドガイドが選定する「最も信頼されるアナリスト」に選ばれた。国際経済から金融、不動産まで、幅広い視点からの解説が人気を博し、各種メディアのトップインタビュアーとしても名高い。ブログ「ホン・チュヌクの市場を見る目」やYouTubeチャンネル「ホン・チュヌクの経済講義ノート」などで、経済や金融市場の難しい知識を簡単に伝える活動を精力的に展開。

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