株式会社のルーツ知らない人が驚く意外な事実 慣習に縛られないオランダが発祥となったワケ

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ここで疑問なのは、本格的な大航海時代を切り拓いたのはスペインとポルトガルなのに、なぜオランダで世界初の株式会社「東インド会社」が設立されたのか、という点です。さまざまな理由があると思われますが、オランダが中世ヨーロッパ社会の核心である「荘園制度」から脱却していたことが大きく影響したと言えるでしょう。

荘園制度とは、領主が自身の封土に属する農奴を直接に支配する制度。領主は自分の支配下にある農奴に最小限の安全、すなわち身辺保護と農地の利用権を保障していました。領主が没落したり戦争で命を落としたりすると、その荘園は他の騎士や領主の手に渡ることになるのですが、ともかく形式的には「取引関係」によって成立していたと見てよいでしょう。

しかし、アムステルダムをはじめとするオランダのほとんどの州では荘園制度が発達しませんでした。オランダの陸地のほとんどは海や沼地を干拓した土地なので、教会も貴族もうかつに所有権を主張できなかったのです。

オランダ人たちは他のヨーロッパ諸国の人びととは違って、自ら開拓・干拓した土地を自由に売買していました。現在のオランダの中枢部に当たるホラント州について言えば、貴族所有の土地はわずか5%にすぎませんでした。このおかげで、オランダの人びとは伝統と宗教の呪縛から抜け出し、実用主義的な態度を持つことができたのです。

宗教改革も麻薬も売春もオランダから

15世紀後半に宗教改革が始まったとき、マルティン・ルターの意見書(95か条の論題)を印刷し配布した場所もアムステルダムでした。アムステルダムでは、エラスムスをはじめとする思想家が積極的に自らの意思を表明して論争を繰り広げることが可能でした。今日でもオランダは最も寛容な国の1つと言えるかもしれません。麻薬や売春などを最初に合法化したのもオランダでした。

オランダの開放的な風土だけでなく、16世紀末から長らく続いた独立戦争もまた、革新を引き起こす原因として作用しました。当時オランダ南部を統治していたスペインが宗教の自由を抑圧し、莫大な税金を課していたため、各地で反乱が起きており、政府レベルで海外進出を企てる余力はありませんでした。結局、オランダ政府は長期にわたる海外市場開拓のための民間資本を育成する必要があり、そのためのこの上ない代案が東インド会社だったのです。

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