世界を旅する写真家が見た「ヒマラヤ」の正体 悪夢のような極寒や、10年に1度の大雪も降る
悪いことは重なるもので、本格的な登山に入る前に、ぼくは「クンブー・コフ」と呼ばれるしつこいせきを患ってしまった。帰国した今もそのせきは治まらない。
クンブー・コフは雲母の砂塵が原因で起こる咳のことである。地元の人々でもマスク代わりに布きれを顔に巻き付けて歩いているのを見かけるが、それは日焼け防止と同時に鉱物を含んだ砂塵対策でもあるのだ。砂塵には微生物が付着し、しつこい咳の原因を作る。最初は単なる風邪だったのに、その諸症状が治まっても咳だけが治らず体力を奪っていくのは、雲母が原因なのだ。
苦しい体験ばかりではなかった
難しいルート、10年に一度の大雪、寒さとせき……。こうしていかにアマダブラムに登ることが難しかったかを書いてきたわけだが、もちろん苦しいばかりではない。壁に張り付きどうやって登ろうかと思案しつつ、上を目指していく作業は確かに困難だが、それを上回る喜びもある。
頭の先から指先に至るまで全身を使って自分の生をまっとうしているという喜びである。その喜びが倍増されるばかりか、苦しみさえも喜びに変換されて、自分のなかに焼き付けられるのは頂上に立てたときだろう。
登頂は山に登るプロセスのたった1点にすぎないが、登山における困難を純粋な喜びに変える重要な作用がある。が、今回は頂上に立てなかった。ゆえに、苦しみは苦しみとして自分の中に蓄積された。今は悔しい、と思うばかりだ。
頂きは6812メートルだが、ぼくは第一キャンプ手前、6000メートルちょっとのリッジまでしか登れなかった。その先にもう1つの山が見えた。もちろん実際は1つの山なのだが、そこから先にもう1つの山があるかのように見えたのだ。ぼくは重りと化した中判カメラのファインダー越しにその山を覗きながら、愕然とせざるをえなかった。
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