ベストセラーでない「源氏物語」が生き延びた訳 矛盾に満ちた人間世界の懊悩がそこにある
これが、読もうと思えば努力しだいで誰でも読解できるようになったのは、江戸時代前期、延宝元年に成立した北村季吟の『湖月抄』という周到な注釈読解書が出版されて以後のことであった。
それとて、大本60冊にも及ぶ浩瀚(こうかん)な出版物で、おそらく今の貨幣価値にしたら、100万円くらいにはあたるほど高価なものだったろうから、それを買って自在に読める人は、やはりごく限られた数の知的・経済的エリートに限られたことであろう。図書館などもなかった当時、これまたその本にアクセスできた人の数が少数であったことは想像にかたくない。
だから、その時代時代で、この物語を直接に享受できた人の数などは、まさに寥々たる少数にすぎなかった。したがって、「多くの人に読まれた」という意味でのベストセラーというのには、まったく当たらないのである。
ただし、江戸時代には、『源氏小鏡』『源氏物語忍艸』のようなダイジェスト本やら、『雛鶴源氏物語』などの翻案物やら、葵上・夕顔・源氏供養・浮舟などの能、あるいは源氏を題材とする浮世絵のようなもの、そうしたもので、大衆は知っていたにすぎない。
あるいは、本居宣長や石川雅望のような人が私塾において源氏を講読したり、そういう形で江戸時代の庶民に細々と受容されていたのでもあった。
しかしながら、であるにもかかわらず、『源氏物語』はつねに文学の王道として1000年に余る年月を堂々と生き延びてきたのである。それはなぜか。
人間社会の懊悩をリアルに描いた文学
もし、この物語が、単に平安貴族の「雅び」な文学なのだとしたら、後世の人たちが読み伝えたはずはない。この物語は、雅びだの、優雅だの、そんな生易しい観念で片づくようなものではない。すこしでもこれを読み解いてみれば、そこにいかに生々しい、いかに切実な、いかに矛盾に満ちた人間世界の懊悩(おうのう)がリアルに描かれているかを知るであろう。
男と女がいる。その男女関係は、時代によってさまざまに転変するけれども、しかし、根本にある「人を愛する切実な気持ち」や、それゆえに誰もが懐抱せざるをえない「愛するゆえの苦悩」やらということは、時代や身分などによって、がらっと変わるというものではない。
そういう心の切実なる動きをば、「もののあはれ」と言うとすれば、このことは時代や身分を超越して不易なのだ。本居宣長が愛して已(や)まなかったのも、まさにこの1点、すなわち人心の機微を、とりわけ恋というものの愛憎の表裏を、極めてリアリティーに富んだ筆致でつづった、その文学性の高さであった。
だから、ちょっとでもこの物語の奥の山道に踏み入ってみれば、これが恐るべき説得力に満ちて、時代を超越した見事な文学的結実であることを知るであろう。すると、なんとしてもこれを次世代の人にも伝えたい、多くの人に読ませたい、と誰もが思うだろう。
だからこそ『源氏物語』は、古今独往の偉大な、古典の中の古典と成りえたのである。
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