スーチー氏拘束を率いた司令官の切迫した事情 クーデターの支えに一体何が存在しているのか
ミャンマーで起きたクーデターは、この国のウォッチャーを「まさか」と絶句させる出来事だった。なぜ、あのミン・アウン・フライン国軍最高司令官が……。そんな反応である。
彼は民主化プロセスに前向きで、穏健派と目されていたからだ。「総選挙での不正」が、クーデター正当化の理由となりえるのか。民主政権を転覆させるという暴力的手段が、これまでの改革を後退させ、国民の猛反発を招いて、取り戻しかけた国軍の権威を失墜させかねないとは考えなかったのだろうか。
クーデターの大義とは対極にありそうな私的事情
ともかく、ミン・アウン・フラインはルビコン川を渡ると心を決め、実行に移した。ここでは「クーデターの大義」とは対極にありそうな彼の「個人的な理由(都合)」に絞り、その心中を推し量ってみた。
私は2015年6月にミン・アウン・フラインにインタビューをした際、生年月日を聞いた。「1956年」としか公表されていなかったからだ。返ってきたのは「59歳です。60歳に向かっているところです」との曖昧な言葉だった。この国では、政権幹部や高級軍人の誕生日は国家の「最高機密」である。占星術や呪術が盛んなお国柄で、「黒魔術で呪詛される」と本気で信じているからだ。
ミャンマーの政治と占星術、呪術の深いつながりについては拙著『黒魔術がひそむ国 ミャンマー政治の舞台裏』で紹介しているので、ここでは詳細を省くが、ミン・アウン・フラインは当時、翌年に定年を迎えて退役するはずだった。
しかし、インタビューから半年後に実施された2015年総選挙でアウン・サン・スー・チー率いる当時の最大野党「国民民主連盟」(NLD)が大勝。NLD政権の誕生が確実となり、ミン・アウン・フラインは定年を延長して最高司令官の地位にとどまる。政権交代で軍出身のテイン・セイン大統領が退くことになり、スー・チー新政権の「目付」を自らが担うという判断もあったと思う。
今回のクーデターの個人的理由として、ミン・アウン・フラインの「大統領への野心」が指摘される。可能性はあった。スー・チー政権の行政、政治能力、つまり政権運営能力は客観的に見てもレベルは低い。「自分がタクトを振るえば……」という自負心があったとしても不思議ではない。
同時に、今度は避けて通れそうにない「65歳の定年」を前に、どうしても「最高権力者でなければまずい」と考えたであろう事情を斟酌したい。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら