沖田涼さん(仮名、25歳)も小学生のとき、親の離婚を経験した。離婚の理由は知らない。「なぜ離婚したんだろ」。モヤモヤはずっと続いているが、たずねたことはないし、今さら聞くつもりもない。
「小学1年生やったかな。気づいたら、おとんがいなくなっていた」
その後、生活は激変した。涼さんと2歳年下の妹を食べさせるために、それまで専業主婦だった母親は、昼間はパート、夜もどこかで働き始めた。大人になったいま、母親が出かけていた時間帯から「夜は飲み屋で働いていたのだろう」とは思うが、とくに聞いたことはない。夕方から7時くらいまで学童保育に預けられ、夕食はいったん家に帰ってきた母親と一緒に食べられたものの、その後また母親は出かける。とにかくさみしかった記憶がある。
離婚から1年ほどして、母親は再婚した。夜も昼も母親がいない生活から開放されて、楽になるかと思いきや、それからのほうが大変だった。
「母親の再婚相手は、経済的な面倒はみてくれたけど、僕ら兄妹をかわいがってはくれなかった。とくに僕は男だったからか、理不尽なことでよく殴られた」
部活の帰りが遅いとか、そんな小さなことで「どつかれる」日々。反抗したくてたまらなかったが、母親や妹に暴力の矛先が向くのが怖くて、涼さんはじっと耐えていた。しかし、中学3年生になったある日、金属バットで殴られた。
「このままやったら、いつか殺されてしまう。そう思って、おとんに電話をかけました、『おとん、もう無理や、助けて』って」
身近な助けてくれる大人として浮かんだ「実の父親」
父親の連絡先は母親から聞いて知っていたが、連絡をしたのは初めて。母親の再婚相手が新しい父親として振る舞っていたから、実の父親に会うことは子ども心に遠慮していた。しかし、切羽詰まった状況のなかで、助けてくれる大人として思いついたのは、実の父親だった。
「おとんはすぐに来てくれて、母親の再婚相手と話してくれました。それからは、殴られることはなくなった」
その後、涼さんは高校に進学するが、「やんちゃが過ぎて」退学。家を出て、16歳から寮に住み込みで働き始めた。実の父親とは今でも時々、連絡を取り合い会っている。
「両親には、できればずっと一緒におってほしかった。どうしても無理なんやったら、月1回でもいいから定期的に会えるようにしてほしかった。そうしたらもっと早く、SOSが出せていたかなと思うことがあります」
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら