そもそも病原体に対する否認主義は、新型コロナウイルスが初めてではない。かつては「エイズ(HIV感染症)は存在しない」と声高に唱えたグループがいたからだ。社会心理学者のセス・C・カリッチマンは、『エイズを弄ぶ人々 疑似科学と陰謀説が招いた人類の悲劇』(野中香方子訳、化学同人)で、いかに多くの人々が誤った知識の犠牲になったかを歴史的に追及しているが、他方で「宗教が世界に意味を持たせるように、陰謀説は説明しにくいことを説明する」とその魔力を見抜いた。名指しできる〝主犯〟が明らかになれば、不愉快な複雑性と向き合わずに済む。
不安逃避型コロナ否認にとって、主犯は世界政府や秘密結社などだが、スピリチュアル型コロナ否認にとっての主犯は神や宇宙である。どちらもコロナ禍は何者かが意図的に作り出したものと捉える。とはいえ、スピリチュアル型は災い転じて福となす系統であり、自己愛を満たすための聖なるお告げに変身を遂げる。
人類を霊的進化に導く「宇宙の計画」とする声も
専門家やメディアが発信する情報でパニックに陥っているとコロナは人に牙を剥き、逆に愛と真心で迎え入れると無害化されると論じるインフルエンサーがいる。しかも、次元上昇や霊的進化といった精神の成長をほのめかしているのが特徴だ。例えばチャネラーで有名なウィリアム・レーネンは、コロナは人類を霊的進化に導くための「宇宙の計画」だと断言している(ウィリアム・レーネン『アフターコロナと宇宙の計画』伊藤仁彦訳、ヒカルランド)。
これらは、あらゆる物事の背景に「何らかの主体的な存在」を探そうとする進化心理学の理論をなぞるものだ。
認知科学者のダニエル・C・デネットは、それを「志向的な構え」と名付けている。
デネットは、「志向的な構えとは、(人間、動物、人工物を問わず)ある対象の行動について、その実体を、『信念』や『欲求』を『考慮』して、主体的に『活動』を『選択』する合理的な活動主体と見なして解釈するという方策である」と説明する。つまり「志向的な構えとは、わたしたち人間がおたがいに対して持っている態度や観点であり、したがって、これを人間以外の他のものに当てはめるということ」なのだ(ダニエル・C・デネット『心はどこにあるのか』土屋俊訳、ちくま学芸文庫)。
わたしたちは長い進化の過程で、他者の心に対する関心を強め、内省的思考を身に付けた結果として、自然の事物に心や魂があるとするアニミズムへと発展した。これが現在も、わたしたちが世界を認識する際にも無意識に用いているというわけである。
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