「コロナは茶番」侮る人の大量発生を防げない訳 コロナを否認する3タイプは危機を増大させる

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かつて自然界の舞台裏に神々や妖精、トロール(小鬼)などの「主体」を幻視することがアニミズム的感受性であったとすれば、自然がコミュニケーション不可能な物理的対象となった結果として、昔ながらの思考の癖や構え自体は残存してしまうことから、わたしたちはその慣れ親しんだ感受性にならって社会の内部、あるいは世界の外側に「主体」を幻視しているだけかもしれない。つまり、古代において神々や妖精の仕業としていたものを、現代では秘密結社や宇宙意志の仕業へとアップデートしただけともいえる。

確かにどこかに首謀者がいて、その目的を知ることができることは、わたしたちの滅入った気分を落ち着かせるのに役立つだろう(ウイルスとコミュニケーションが取れるという立場はその最先端である)。刺激的な物語とネットコミュニティーは、その信念に特別な意味を与えてくれる。しかし、実態としてエイズ否認主義の結末と同様に、コロナ禍に対する現実離れしたものの見方は、世界中で犠牲者数を増大させる片棒を担いでしまう。

コロナは存在しないと信じていたインスタグラマーの死

100万人超のフォロワーを抱えていた人気インスタグラマーの死はあまりにも象徴的だ。コロナによる合併症で亡くなったその30代の男性は、感染が判明するまでコロナは存在しないという陰謀論を信じていたことを悔いていた。

わたしたちが犯人探しに興じやすいのは決して奇妙な傾向ではない。進化の過程を辿ればまったく正常な反応ともいえる。けれども、それは今や自然災害などといった偶然の産物には不向きだ。概して極端な方向へと舵を切りやすい。それは結局のところ、感染症対策を徹底しつつ経済活動を行うという綱渡りに石を投げる行為を招く。

行動変容に従わない者の厳罰化といった規制強化を要求し自粛警察を買って出る極端さ、特定のワクチンの欠陥からあらゆるワクチンの有効性を否定する反ワクチンへと傾倒する極端さ、その両極からできるだけ距離を置いたほどほどのリアリズムこそが重要である。わたしたちが避けなければならないのは、清涼剤に似た極端さへの誘惑なのだ。

真鍋 厚 評論家、著述家

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まなべ・あつし / Atsushi Manabe

1979年、奈良県生まれ。大阪芸術大学大学院修士課程修了。出版社に勤める傍ら評論活動を展開。 単著に『テロリスト・ワールド』(現代書館)、『不寛容という不安』(彩流社)。(写真撮影:長谷部ナオキチ)

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