そもそも否認とは、防衛機制の一種である。恐ろしい出来事や不安な事実をありのままに受け入れることが困難であるがゆえの心の働きだ。「コロナはただの風邪」と言い切ってしまえば何も心配することがなく、コロナ禍がすべて茶番として処理できてしまう。世界は依然として自分にとって制御可能な安全な場所だという信念を強化することができる。とりわけ保守的な価値観を持つ人にとっては馴染みがある作法といえる。
スウェーデンの心理学者であるキルスティ・ユルハの「気候変動否認」に関する研究が参考になる。政治的に保守的な人々の間で気候変動の否定が一般的な傾向であるというこれまでの研究を踏まえ、ユルハは政治的イデオロギーなどとの関連を詳しく調べた。
その結果、気候変動否定は、政治的志向、権威主義的態度、現状維持の支持と相関があることが明確になった。また、タフマインドな性格(共感性が低く、優位性が高い)、閉ざされた心(経験に対する開放性が低い)、男性の性別とも相関があることがわかった(The psychology behind climate change denial/Uppsala University)。
大局的な変化を過小評価して自尊感情を守る
このような否認の特性からは、端的にウイルスに怖じ気づく臆病者は誤っており、脅威に動じない勇敢な者が正しいといったステレオタイプの思考が読み取れる。大局的な変化を過小評価することで自尊感情を守るのである。
マッチョ型コロナ否認は、不安逃避型コロナ否認と親和性が高い。マッチョ型にとって、実のところただの風邪とするか、フェイクとするかはさほど重要な問題ではない。起点にあるのは「大したことは起こっていない」という正常性バイアスであり、最終的には人類史という時間軸で被害を相対化しようとするからだ。そういう意味で日本においては欧米に比べてかなり低い人口当たりの死者割合や、その有力な因子を指すファクターXはむしろ裏目に出ている。
不安逃避型コロナ否認は、コロナは真っ赤なうそであり、新型ウイルス自体が捏造されたもので、現実には存在しないと力説する。コロナワクチンはマイクロチップを埋め込む方便で、人々を監視し奴隷化しようとしている、5G(第5世代移動通信システム)の電波がすべての原因である云々。陰謀論とは、いわば正常性バイアスを豪華に飾り立てる魅力的な物語なのである。「大したことが起こっていない」が真であれば、危機は作り出されたものと考えるのが合理的だ。数十億人もの人々がまんまと騙されているというわけである。
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