古都の情景を描く「万葉集」に込められた想い 現代社会を生きる私たちへのヒントになる
香具山から西方を望めば真正面に、盆地を隔てて畝傍山が横たわる。香具山から国見をする磐余彦は、畝傍の優美な山容に魅せられ、この山をも占拠したくなった。磐余彦はやがて、北方の耳成山から国見をする、同じ野望をもつ先住集団を制圧、畝傍山に依拠している集団をも懐柔した。
そして、宮居をまで磐余彦は畝傍山麓の橿原に移し、王朝の確立を宣言した。播磨の姫路付近であっただろう。中大兄皇子は百済への援軍徴兵に赴いた在所の集会で、問われるままに、右のような伝承を在民を前に語ったのである。
中大兄・大海人の兄弟は額田王を妃にしようと争っているという風聞がこの在所に伝わっていて、中大兄はそれについても一言しなければならなかった。つまるところ、おそらく酒宴の座で、この長歌をまで即興で披露したのではあるまいか。なお、「うつせみ」は現世。現身と漢字をあててこの世を移ろう人身をも意味する。
歌を詠むことは生活そのものを自覚すること
万葉期の日本は、国としていまだ揺籃の段階にあった。内乱が頻発して社会は混沌としていた。
時代の空気がつねに険しく流動していたから、趣味や技芸で安閑と詠まれている作など万葉歌には見当らない。
歌を詠むとは生活そのものを自覚する行為にほかならなかったのであり、あらゆる作に純朴で逞しい気概があふれている。
万葉歌の鑑賞はそれゆえか、現代社会の疲弊した空気しか呼吸していない私たちに、思いがけない覚醒と慰みを、ときには懐旧の悦びをまでもたらしてくれるのだ。
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